深鉢形土器
主名称: | 深鉢形土器 |
指定番号: | 568 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 2006.06.09(平成18.06.09) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 新潟県堂平遺跡出土 |
員数: | 2箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 本件は新潟県中魚沼郡津南町堂平【どうだいら】遺跡から出土した「火焔形土器・王冠形土器」のうち、最も典型的な各一箇ずつを国保有したものである。 堂平遺跡は信濃(千曲)川に注ぎ込む中津川の右岸段丘上に存在する。標高は470メートルを測る。平成八年五~九月に国営総合農用地開発事業調査として8960平方メートルの発掘が行われ、縄文時代中期中葉から後葉を中心とする集落跡であることが判明した。竪穴住居跡は60棟を検出した。集落は南東側に土坑群、北西側に竪穴住居群が集中する形態をとる。本件の二箇の深鉢形土器はともに北西側住居群付近から出土した。 火焔形土器は数棟の竪穴住居跡が重複した部分から散乱して発見された。王冠形土器は竪穴住居跡の柱穴内より破片が折り重なるようにして出土した。 この二箇の深鉢形土器は縄文時代を代表する「火焔形土器」「王冠形土器」と称される土器で、残りもきわめて良好である。一切の空白部を排除した土器表面の装飾技法は縄文土器の造形美、器面装飾法の極致を示し、美術・工芸的にもきわめて水準の高い資料であり、その学術的価値はきわめて高い。 |
深鉢形土器
主名称: | 深鉢形土器 |
指定番号: | 436 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1988.06.06(昭和63.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 岩手県盛岡市繋字館市出土 |
員数: | 7箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 本遺品の一括は、昭和二十六年、繋小学校(当時)の校庭整地工事に際し、不時発見されたものである。出土地は盛岡市街から南西へ約一三キロ、雫石川右岸の段丘上で、付近には萪内【しだない】遺跡をはじめとする、縄文時代の大規模な遺跡が群在する。遺物発見の報を受けて、当時緊急発堀調査が行われた結果、これら七箇体の土器は、ほぼ一括して、底部を上に向けたいわゆる逆位の状態で埋置されていたことが判明している。 これらの土器は、いずれも口縁部が軽く内湾し、その最大径が胴上半部にある深鉢形で、総高四〇~五〇センチ前後の法量的にもまとまった一群である。しかし渦巻文を主とした文様で胴部全面を飾る1~3が、いずれも三単位の波状口縁を呈するのに対し、4~7は縄文・撚糸文のみで全面が飾られる平縁の土器であり、これらはいわゆる精製、粗製の深鉢形土器として区別される。また1・2・4・5の四箇は、口縁部付近に僅かな欠失のある4の他、口縁部から底部までの全周が、きわめて良く遺存しているとともに、底部には外側からの焼成後穿孔がある。特にこの中でも、均斉のとれた器形、雄大で整った渦巻文を描く1・2は、遺存状態も良く注目される。 これらの出土状態に示されるような埋甕習裕は、縄文時代中期の東日本を中心に、多数の類例が知られ、その埋置方法の地域差や、埋置される土器に特定の器形、文様が描かれる傾向がある。その中にあって本遺品の一括は、東北地方の縄文時代中期後半の埋甕遺構出土土器の代表例であり、その学術的価値は高い。 |
深鉢形土器
主名称: | 深鉢形土器 |
指定番号: | 438 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1988.06.06(昭和63.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 山梨県塩山市上萩原字殿林出土 |
員数: | 1箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 本遺品は昭和三十七年、果樹移植作業によって発見されたものである。出土地は塩山市街の北東約三キロ、南向きに開けた山裾の扇状地上で、眼下には笛吹川に注ぐ佐野川が西流し、周辺には縄文時代中期の遺跡が多い。 頭部が屈曲する、いわゆるキャリパー形の大型深鉢形土器で、口縁部は強く内側に向かって屈曲し、くびれた頸部には六本を一組とする条帯が半肉彫状に施されて、文様帯を二分する。このうち、口縁部文様帯には、重弧文が一周八単位、胴部文様帯には、縦の細い沈線文を地文に、U字状の双頭渦文が三単位、各々頸部の条帯と同じ手法で施されるが、胴部下半の約三分の一は素文のままとする。さらに、これら半肉彫状の文様描写後、細い粘土紐が、文様単位を画するように小波状を呈して貼付される。底部は平滑で厚く、穿孔などは認められない。胎土には多量の砂粒が混入され、全体に黄褐色の呈した均一、堅緻な焼成で、内面は丁寧な整形が行き届く。今、口縁部付近に僅かな補修箇所があるが、頸部以下は完存し、きわめて良好な状態を保っている。 一般に、山梨県を含む中部山岳地域には、縄文時代中期の遺跡が集中し、そこから発見される縄文土器は、他の地域・時期に比べて特に著しいものがある。この中で本遺品は、中期中葉、いわゆる曽利Ⅱ式土器の典型であるのみならず、多くの類例と比べ、文様・姿形が優れているとともに、他と隔絶した大型な箇体として注目されるものである。中部山岳地域の縄文時代中期の土器の代表的遺品として、また縄文時代の工芸技術の一極致を示すものとして、その価値は高い。 |
深鉢形土器〈残欠共/〉
主名称: | 深鉢形土器〈残欠共/〉 |
指定番号: | 447 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1989.06.12(平成1.06.12) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 栃木県那須郡西那須野町槻沢遺跡土壙出土 |
員数: | 30箇 |
時代区分: | 縄文 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 槻沢遺跡は栃木県北部に位置し、那須野が原東端の湧水点を望む舌状台地上に位置する。昭和五十二年、農道建設に先立つ発掘調査で、台地中央部が発掘調査され、その結果台地全面(一〇〇メートル×三〇〇メートル)に楕円形の縄文時代中期集落が確認された。この調査によって住居跡三一・土壙一一四・埋甕墓【うめがめぼ】三・集石三以上の遺構が検出されている。 本遺品は、その際に検出された袋状土壙【ふくろじようどこう】の一つからまとまって出土したものであり、復元可能箇体三〇箇、破片二二点がその全容である。袋状土壙から完形あるいはそれに近い土器が一~三箇体出土する例は多く、それらは食料貯蔵との関連が指摘されていた。しかし、槻沢遺跡例は今までに例のないほど多量な土器が一土壙内に埋蔵されていたのみでなく、その遺存状態も一部を除き良好であった。これは土器の一括性・同時性を探るうえで基本的資料といえよう。 槻沢遺跡の位置する栃木県北部は関東地方の北端であると同時に東北地方の南縁にもあたる。したがって、両地方の地域性に富む土器が複合して出土する特徴が認められていたが、その明確な同時性を証明するに足る資料には欠けていた。本遺品は西関東地方の加曽利【かそり】E式、東関東地方の阿玉台【おたまだい】式の型式的特徴をもつ土器と、東北地方の大木【だいぎ】〈a/8〉式の特徴をもつ土器が相半ばして同時に存在している。また、会津【あいづ】地方を経由したと考えられる火焔型【かえんがた】土器の影響から生じた半肉彫【はんにくぼ】り状の文様をもつ土器も加わっている。栃木県北部の地域的特徴を余すところなく反映した一括遺品であり、異地域・異型式土器の混合および在地化【ざいちか】をみるうえで基本的な土器群として貴重な資料である。 なお、これらの他に二二点の土器破片があり、多くは阿玉台式終末に属す。これら破片も併せて保存を図りたい。 |
深鉢形土器
考古資料: | 深鉢形土器 深鉢形土器 深鉢形土器 深鉢形土器 滋賀県雪野山古墳出土品 滑石製経筒 片口土器 |
- 深鉢形土器のページへのリンク