遺跡の位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 03:58 UTC 版)
遺跡の所在地は、都城盆地のほぼ中央、大淀川と庄内川の合流点付近に形成された沖積地の微高地である。標高は133メートル前後、西に位置する大淀川の氾濫原との比高差は1.5メートルほどである。 屋敷地は確認されている範囲で、南北65メートル、東西が60メートル+αにわたっている。北から南へ下る傾斜面の微高地の北端、周囲より高いところに掘立柱の大型建物、その南に池状遺構があり、敷地南端は門、柵列、区画溝で区画されていた。敷地の東は南北45メートル、東西30メートル、深さ1.4メートルの、自然地形の窪地がある。遺構はこの窪地に平行して存在し、窪地をまたぐ遺構がないことから、東側はこの窪地が境をなしていたことがわかる。敷地西端は削平されていて不明だが、西方にさほど大きくは広がっていなかったとみられる。敷地北端はこれまでの調査では明確になっていない。
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