立地と環境
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ナスカの地上絵が立地する場所は、ペルー南海岸地方の北から南へ走る丘陵と東方のアンデス山脈の麓との間にあるパンパ=コロラダ、パンパ=インヘニオと呼ばれる細長い盆地である。長い年月の間に、西方や東方の比較的高い場所からの水の流れが浸食した土砂を盆地に運び続けた。このような土砂は細かくて明るい色、黄白色をしている。この土の上に時々大洪水によって多量の石を含んだ土砂が運ばれる。細かい土は、南風によって吹き飛ばされ、比較的大粒の礫や岩石が残される。岩石は早朝は露に濡れるが、日中は焼け付くような砂漠の太陽に照らされることを繰り返すうちに、表層の岩石はやがて酸化して暗赤褐色になる。岩石が日中の太陽で熱をもつので、その熱の放射で地表に対して暖かい空気層をつくり出し、南風による表面の浸食を防ぎ、雨もほとんど降らない気候環境から雨による浸食もほとんどない状況をつくり出した。 ナスカの地上絵は、このような盆地の暗赤褐色の岩を特定の場所だけ幅1m~2m、深さ20~30cm程度取り除き、深層の酸化していない明るい色の岩石を露出させることによって「描かれて」いる。規模によってはもっと広く深い「線」で構成されている。地上絵の線は最初に線の中心から外側へ暗赤褐色の岩、砂、砂利を積み上げる、それから線の中心部分に少し残った暗赤褐色の砂や砂利も取り除いて明瞭になるようにしたと推定される。
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立地と環境
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「港北ニュータウン遺跡群」の記事における「立地と環境」の解説
港北ニュータウンにあたる都筑区のほか、青葉区・港北区が存在する横浜市北部には、かつては森林生い茂る多摩丘陵に属する標高50-60mほどの丘陵や台地帯が広がっていた。また鶴見川水系に属する早渕川などの小河川とその分流が、丘陵の合間を下刻して、複雑な形に無数の谷戸を形成し、典型的な里山景観を成していた。そしてそれらの丘陵や台地の上には、1万年以上前の旧石器時代から近世・近代にいたる人類の活動所産である遺跡(貝塚・古墳・集落・墓地・城跡など)が無数に存在していた。 2004年(平成16年)に横浜市が刊行した『横浜市文化財地図』によれば、横浜市内全域には約2500箇所近くの遺跡(周知の埋蔵文化財包蔵地)が掲載されている。このうち港北ニュータウンが存在する都筑区内全域では、当地図一覧表の遺跡番号数(横浜市による付番。欠番も含む)として429箇所の遺跡が登載されている。都筑区周辺を含めると、青葉区で354箇所・港北区で244箇所を数え、遺跡番号数の単純計算でも横浜市北部3区内に合計1027箇所の遺跡が存在していることになる。これらの遺跡の位置と範囲は市によって把握されており、『横浜市文化財地図』のWeb版(横浜市行政地図情報提供システム文化財ハマSite)で閲覧可能である。
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