近世・近代(江戸時代以降)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 06:32 UTC 版)
江戸時代に入り、1615年の大坂夏の陣で江戸幕府が豊臣氏を滅ぼし、元和偃武を向かえて世が太平を謳歌するようになると、大規模な戦闘で甲冑が使われることもなくなり、飾った時の見た目の豪華さを目的に当世具足に虚飾が加えられるようになった。江戸時代中期以降は中世復古調が流行り、大鎧・胴丸・腹巻を模範として甲冑が作られたが、当世具足の様式と混ざったりして必ずしも時代考証に則ったものではない甲冑も製作された。幕末には革製の甲冑もつくられた。明治維新による武士階級の消滅や軍備の近代化に伴い、1877年の西南戦争を最後に実用に供されることはなくなった。 紺糸威胴丸具足(伝黒田家家老小河家伝来)、江戸時代・18世紀(九州国立博物館蔵) 紺糸威六枚胴具足、江戸時代・18世紀(東京国立博物館蔵) 馬面(ばめん)派作の当世具足、江戸時代・18世紀(メトロポリタン美術館蔵) 当世具足、江戸時代・18世紀(メトロポリタン美術館蔵) 能の演目「竹生島」を題材にした中世復古調の当世具足、江戸時代・18世紀(メトロポリタン美術館蔵) 前田家家紋入りの中世復古調の当世具足、江戸時代・18世紀(メトロポリタン美術館蔵) 胴に雲龍図が描かれた中世復古調の当世具足、江戸時代・18 - 19世紀(メトロポリタン美術館蔵) 烏山藩系大久保氏家紋入りの中世復古調の当世具足、江戸時代・19世紀(メトロポリタン美術館蔵) 紫裾濃威胴丸具足、中世復古調の胴丸仕立ての当世具足、江戸時代・19世紀(東京国立博物館蔵) 紺糸威桶側二枚胴具足、江戸時代・19世紀(九州国立博物館蔵) 畳胴具足、江戸時代 鎖帷子(くさりかたびら) 鎖具足、江戸時代 幕末から明治にかけての外国人向けの土産写真など 甲冑を着用し尻鞘を被せた太刀を佩く侍風の男 当世具足を身に着けた侍風の男の手彩色写真。フェリーチェ・ベアト撮影(1860年代) 当世具足を身に着け剣を構えた侍風の男の写真。フェリーチェ・ベアト撮影(1860年代) 侍風の男たちと鎖帷子(1870年代) 侍風の男たちと亀甲の甲冑(1880年代) 武具を身に着けた侍風の男たちの手彩色写真
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