近世・近代・現代
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西欧諸国はすでにポルトガルがゴアなどに主にキリスト教布教・貿易のための拠点を設けたりしていたが、1757年のプラッシーの戦いののちイギリス東インド会社はベンガル地方から直接統治を開始・拡大していった。そして1857年の北インドを中心とするインド大反乱を経て東インド会社は解散され、イギリス領インド帝国となった。皮肉にも、この国は漠然と「インド」と捉えられてきた地域を統一した最初の政体であった。 その後、1885年に結成されたインド国民会議はマハトマ・ガンディーやジャワハルラール・ネルーを得てインド独立の方向に邁進していくことになる。彼らの路線は「非暴力・不服従」だったが、ほかに急進派・武闘派だったスバス・チャンドラ・ボース、いまだ残るカースト制度を告発し旧不可触民の解放に尽くしたビームラーオ・アンベードカルの存在も忘れてはならないだろう。だが結局ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立は解消されず、第二次世界大戦後の1947年にイギリスから独立した際にはインド・パキスタン分離という結果となり、ガーンディーの理想・主張は実現せず北インドは政治的に分割されることとなった。 なお現在も少数派宗教としてシク教・キリスト教のほか、古代インド発祥の仏教・ジャイナ教などの信者も残っている。
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近世、近代、現代
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近世ヨーロッパでパイク兵が戦場を支配していた頃はパイク兵が接近戦用のサブウェポンとして刀剣、メイス、短剣を装備していた。しかし、銃の登場により、戦場から金属製の重い鎧は姿を消しメイスもそれに従って廃れていった。近世ヨーロッパにおいては火器の発達により全身鎧が廃れていったため、刀剣の方が好まれる傾向にあった(16世紀初めの歩兵にとって主な脅威は火縄銃ではなく、矛や刀剣類だった。18世紀になっても騎兵用の刀剣は騎兵の攻撃・防御にもっとも有効な武器だった)。 制式な兵器としては消えたといっても殴るだけという単純さからメイス状の即席武器がしばしば使用される。たとえば第一次世界大戦の塹壕戦、もしくは正式な量産品としては第二次世界大戦前後の日本、外地の日本人居留地の警備等で用いられた甲型打撃棒、乙型打撃棒が挙げられる。戦争用の武器という範疇を外れれば警棒として警察や警備員が幅広く持っている。また、儀礼用の職杖(en)は未だ多くの国々で使用されている。
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