直接統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 14:44 UTC 版)
以後の27年間、北アイルランドはイギリス政府に設けられた北アイルランド担当大臣による直接統治下に置かれた。この統治に要する主要な法律は通常の手続きに従い下院で可決・成立したが、多くの微細な取り決めは議会の審議を受けることなく枢密院令によって発布された。イギリス政府は地方分権を指向していたが、北アイルランド憲法法とサニングデール合意および1975年の北アイルランド憲政協議会などによる北アイルランド問題解決の試みは全て世論の支持を得られず失敗に終わった。 1970年代イギリス政府はアルスター化の方針のもとIRAに対する対決姿勢を維持した。IRAとの対立の最前線にはRUCおよび英軍予備役であるアルスター防衛隊があたっていた。政府の強硬姿勢によりIRAによるテロは減少したものの、長期的にはどちらの勝利も望めないことは明らかであった。IRAのテロ活動に反対するカトリックも存在したが、差別措置を撤廃しない北アイルランド政府に対して彼らが好意的になることはなかった。1980年代になるとIRAはリビアから大量の武器を調達して攻勢にでようとこころみた。IRAに浸透していたMI5の諜報活動によりこの計画が失敗すると、IRAはその目標を準軍事的なものから政治的な方向へシフトするようになる。IRAの"停戦"はこの動きの一部であった。1986年にはイギリスとアイルランド政府がアングロ・アイリッシュ協定を調印し政治的な解決を模索した。長期にわたる紛争により北アイルランドは高い失業率に苦しめられ、70年代から80年代にかけて行われたイギリス政府のてこ入れによる公共サービスの近代化も遅々として進まなかった。90年代に入るとイギリス・アイルランド両国の経済が好転し紛争も沈静化する傾向が見えてきた。近年北アイルランドではカトリックの人口が増加しつつあり、全人口の40%以上を占めるようになっている。
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