近世、藩政期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 10:02 UTC 版)
藩政期には大洲藩(重松を除く)又は新谷藩(重松のみ)の領地であった。五十崎郷に属する古田、天神、大久喜、宿間、奈良野、重松の6村、河辺郷に属する鶴巻、只海、北表の3村の合わせて9村があった。 寛永年間に大洲藩主・加藤泰興が古田村在住の岡崎治郎左衛門に命じて藩の御用紙を漉かせたこれが、当地の製紙の勃興の始まりとされる。 元禄年間には民間でも天神村で紙漉きが行なわれていた。以後、楮の栽培が内山筋一帯で盛んになる。 1746年(延享3年) - 紙方仲買連中結成(紙座)。こののち、仲買商に暴利をむさぼられていると農民の不満募る。 1750年(寛延3年) - 内ノ子騒動。 宝暦年間に大洲藩は紙の統制を強化、宝暦10年に五十崎に楮役所を、内子に紙役所をおく。 天保年間に大洲藩が神南山の中腹に大久喜鉱山を開発。 1838年(天保9年) - 天神村を平岡村へ村名変更。
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