近世・現代の冒険
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 06:15 UTC 版)
ルネサンスから今日に至る発見の数々は、その時代にあっては確かに冒険であった。例を挙げるなら、アメリカ大陸を発見したり、フィリピンまで到達したスペイン人やポルトガル人航海者が挙げられる。とりわけ、アレクサンダー・フォン・フンボルトやデイヴィッド・リヴィングストンのような人たちの研究探索旅行、極地探検家としてのジョン・フランクリンなど、彼らもまた冒険者の名に値するだろう。今日の宇宙空間への飛行もまた「人類の最大の冒険」という呼び方をされるのは周知のことである。 ただ議論の余地があるのは、戦争への従軍を冒険と呼ぶか否かというケースである。フランス革命以降、軍隊の主力が傭兵から市民兵に移行し始め、また王立軍の中核に志願兵が参加し始めたことなど、とりわけクリミア戦争におけるトルストイやスペイン内戦におけるヘミングウェイなど、後の偉大な文学者が兵士として参戦したことなども、従軍を冒険と捉える傾向に大きく影響している。第一次世界大戦あたりまでは、戦争をそのように美化する傾向もなかったわけではない。戦記物や従軍記は書き手の筆致により冒険小説のような痛快さを演出することがあるものの、戦場の現実が明らかにされるようになるにつれ、その本来の危険性(危険を冒す)もまた明らかになった。 「強制され集団的に戦地に送られたものであって、自発的な冒険の名には値しない」として否定する向きが多い。さらに戦争という行為を遂行すること自体、個人を人に対する戦いという集団的な狂気に飲み込んでいくようなもので、冒険の名はふさわしくないとされることも多い。T・E・ロレンスの『知恵の七柱』などのように従軍記録を元にしたすぐれた文芸作品も多く存在するが、実際の行為の正当性については多く議論が分かれる。 現在は未開の地はほとんどないが、エベレストや南極大陸など人類の多くが足を踏み入れる事が困難な場所に行くことも冒険といえるだろう。しかし、この場合探検と区別がつきにくいので、冒険の定義はやや曖昧となってしまう。
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