甲冑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/01 01:29 UTC 版)
甲冑(かっちゅう)とは、胴部を守る鎧(甲、よろい)と、頭部を守る兜(冑、かぶと)からなる武具。主として槍・刀剣や弓矢を用いた戦闘の際に侍・武士が身につける日本の伝統的な防具である。
注釈
- ^ 弥生時代や古墳時代など、大鎧出現以前の甲冑は、考古学用語としての慣習上「鎧」「兜」ではなく「甲」「冑」で表記される。
- ^ 裲襠式は、小札を紐で連接して構築した2枚の装甲板(札板)を肩上(わたがみ)で繋ぎ、胴の前後にサンドイッチのようにかけて装着し、両脇は脇盾(わいだて)状の別部品の装甲で覆うタイプである。これに対し胴丸式は、小札を縅した札板を、胴に巻き付けるように一周させ、前方で引き合わせて装着するタイプである[3]。
- ^ 縅(おどし)は鉄板に可動性を与えた連接法であり、綴(とじ)・鋲留(びょうどめ)は鉄板同士を完全に固定する連接法である[6]。
- ^ 戦闘用のプレートアーマーは彫金や型押しによる小さな装飾のみで塗装されず、装飾は盾や兜、シュールコーであった。儀礼用のパレードアーマーには塗装や細かな彫刻が施されたものもある。
- ^ 元の甲冑が軽装であったため、重装の和式甲冑に興味を示したとも。
- ^ 『李朝実録』の記述に、1456年正月に難風によって琉球諸島に漂流した朝鮮人が2月に保護され、首里城へ赴いた際、「日本製の鎧兜に身を固めた警備兵が待機していた」と記録される。
- ^ 『諏訪大明神畫詞』の渡党の記述に、「和国人に似ているが(中略)、男は甲冑を(略)、骨鏃に毒をぬり」と記され、蠣崎氏の勝山館跡からも館内に鎧の飾り金具を作る工房があり、この館にはアイヌも住んでいたことが示唆されている[23]。
- ^ 『類聚三代格』巻19
出典
- ^ 米競売、江戸時代の甲冑5千万円/過去最高額で落札 四国新聞 2009年10月24日
- ^ 橋本 2002.
- ^ a b 末永 1944.
- ^ 田中 2003.
- ^ 棟方 2012.
- ^ 阪口 2001, p. 35.
- ^ 宮崎 2006, pp. 6–18.
- ^ 橋本 2009, p. 27-30.
- ^ 宮崎 2006, pp. 13–15.
- ^ 橋本 2009, p. 28.
- ^ a b 式正の鎧・大鎧 Costume Museum
- ^ a b c d 日本の甲冑 Costume Museum
- ^ 甲冑の歴史(南北朝時代~室町時代) 刀剣ワールド
- ^ 久能山東照宮 主な収蔵品
- ^ 大徳川展 作品リスト 東京国立博物館
- ^ 色々糸威二枚胴具足
- ^ 甲冑に見る江戸時代展5 武士と武人の甲冑像 Fukuoka City Museum
- ^ 甲冑の鑑定(格付け) 刀剣ワールド
- ^ 藤本頼生「神社と神様がよーくわかる本」 p.65. 秀和システム. ISBN 978-4798040721
- ^ 春日大社 国宝殿
- ^ 小山 隆秀 (2016). “近現代の青森県津軽地方における刀剣の伝説と世間話”. 青森県立郷土館研究紀要 40.
- ^ 筧 2001, p. 292.
- ^ 大石, 高良 & 高橋 2001, pp. 118–119.
- ^ 大石, 高良 & 高橋 2001, p. 75.
- ^ 瀬川 2007, pp. 190–191.
- ^ サハリン発見「アイヌ鎧」の年代について
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