甲冑・刀剣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 01:13 UTC 版)
甲冑では京都に住んだ明珍が名高く、鎌倉時代のはじめごろに初代が朝廷より明珍の号を賜り、以後代々この号を称したため、この流れを汲むものを明珍派(または明珍家)と呼んでいる。甲冑はまた鎌倉時代後期になると戦勝祈願のために神社に奉納する慣習が定着したため、いっそう装飾性を強め、鎌倉末期の制作になる青森県八戸市の櫛引八幡宮および奈良市春日大社の赤糸威鎧はいずれも国宝に指定されている。 刀剣は、山城、大和、相模、備前、備中などの諸国の鍛冶がそれぞれに地鉄や刃文に特色のある作品をつくった。山城の来派(らいは)、備前の長船派(おさふねは)・福岡一文字、備中の青江派などは多くの著名刀工を輩出している。個別の刀工としては備前長船の光忠、長光、京都の藤四郎吉光(粟田口吉光)、鎌倉の正宗、景光などが著名で、多くの名品を残した。これら刀剣は、日宋貿易での重要な輸出品でもあった。
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