八十国押分
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明治14年(1881年)1月から明治20年(1887年)4月までの6年余を国立第二十二銀行取締役として勤め、同年4月14日死去。享年54。墓所は岡山市半田山にある。 江戸末期から明治維新へと時代が大きく動くときに、その中心近くにいて時に深く関わり、日本中(海外渡航も含めて)を慌ただしく動き回り、多くの人々と交流して、難題を引き受け解決していった。諡(おくりな)は『八十国押分(やそくにおしわけ)弘道』。 なお、弘道の日記・書簡・写真・甲冑・刀剣等の遺品は、津田弘道曾孫家から岡山県立博物館(岡山市北区後楽園1-5)に寄贈された。
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