大規模な戦闘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 15:10 UTC 版)
紀元前42年、三頭政治率いる軍勢は、かつてカエサルを暗殺したブルートゥスら率いる軍団をフィリッピの戦いで打ち破った。これにより東方での問題が解決したローマは、セクストゥスの軍勢に立ち向かう余裕ができた。そして一度は講和したものの、講和を破って三頭政治を率いる3人はセクストゥスに対して攻勢に出た。紀元前38年、オクタウィアヌスは自身の艦隊を率いてシチリア島に侵攻を試みたが、悪天候のため取り止めざるを得なかった。 オクタウィアヌスの右腕アグリッパはイタリア半島南部のルクリーノ湖を地中海とを水路で繋ぎ、新たな港を構築すると、その湖で海軍の訓練を行った。彼らは新たに艦隊を創設し、20000人もの解放奴隷を漕ぎ手として雇い入れた。この艦隊の軍船は、通常のものよりも非常に大きく設計されており、より多くの兵士を搭載することができた。この艦隊の建設と海軍の訓練は同時に取り進められた。それに加え、三頭の1人アントニウスは、自軍の艦隊約120隻をオクタウィアヌスに援軍として差し向けた。そして満を辞したローマ軍は、オクタウィアヌス率いる2つの艦隊がイタリア方面から、レピドゥス率いる艦隊がアフリカ方面から、それぞれシチリア島を目指して進軍し、セクストゥスが守るシチリア島を両側から攻撃し始めた。 同年8月、アグリッパ率いるオクタウィアヌス艦隊は遂に、ミュラエの海戦でセクストゥス海軍を打ち破ることに成功した。一方同月、オクタウィアヌス自身はタオルミーナ近辺で発生した戦闘で大敗し、自身も重傷を負った。 ナウロクス沖の海戦では、アグリッパ率いる艦隊とセクストゥス率いる艦隊が衝突した。両艦隊ともに飛び道具などを設置した300隻ほどの軍船を擁していたが、アグリッパの艦隊はharpaxと呼ばれる、鉤縄をカタパルトの要領で遠方に飛ばし船体に引っ掛けさせて手繰り寄せる武器や、コルウスと呼ばれる敵船に乗り込む際に用いられる装置を装着していた。アグリッパはこのような装置・武器を用いて、セクストゥスの艦隊を壊滅させた。戦闘は過酷なものとなり、セクストゥス艦隊は28隻が沈められ、17隻が逃亡、残りの軍船は炎上するか捕獲されるかしたという。対するアグリッパ艦隊は3隻が沈没しただけだった。 その後もローマ側とセクストゥス側の戦闘は続き、一連の戦争で200,000人もの兵士が殺され、1,000隻もの軍船が破壊されたという。しかしそれらの損害の大半はセクストゥス海軍・陸軍のものであった。そしてティンダリスやメッシーナ周辺は戦争で焦土と化した。
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