ローマ側
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/11 13:54 UTC 版)
「フィデナエの戦い (紀元前437年)」の記事における「ローマ側」の解説
ローマでは、長年に渡ってパトリキ(貴族)とプレブス(平民)の争いが続いていた。紀元前438年には、パトリキから選ばれる定数2人の執政官(コンスル)に代わり、プレブスも就任可能なトリブヌス・ミリトゥム・コンスラリ・ポテスタテ(執政武官)が設けられ、軍の指揮を執ることになった。執政武官には有名なキンキナトゥスの息子で同名のルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥス、マメルクス・アエミリウス・マメルキヌス、ルキウス・ユリウス・ユッルス(en)が執政武官に就任した。
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