ローマ以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 10:52 UTC 版)
ギリシア風のギュムナシオン(ギムナシウム)はローマではあまり流行らなかった。これは、少年に運動をさせることが怠惰と不道徳につながると信じられていたせいもあるし、軍事的な理由付けがほとんどなかったせいもある。ローマ共和政では、カムプス・マールティウスでの強制キャンプ生活と行軍と戦闘ゲームがギリシアの運動や体操に取って代わった[要出典]。ローマでの公共のギムナシウムはネロが最初に建設し、後にコンモドゥスも建設した。 中世になると、馬上槍試合などの馬を使った競技が主流となり、ギリシアのギュムナシオンのような体系的な肉体鍛錬はほとんど行われなくなった。ヒポクラテスやガレノスが到達した特定の運動とそれによる治療効果は、もはや忘れ去られていた。
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