イギリスの居酒屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 08:01 UTC 版)
西暦43年にローマがブリタニアに侵攻する以前、ケルト人は古代フェニキア人から教わったビールを、紀元前2世紀か紀元前1世紀頃には既に常飲していたようである。ローマ以後、455年に民族大移動に伴うアングル人とサクソン人の入植、そして1066年のノルマン人による征服でも、ビールを飲む習慣は変わらなかった。イギリスのビールはエールと呼ばれ、常温での上面発酵させたホップなしのビールである。 イギリスでのビールは各個人の家庭で作られ、それを近隣住民や旅行者たちに分け与えたのが居酒屋の始まりで、居酒屋が「エールハウス」と呼ばれるのもここから来ている。初期の居酒屋は家庭発祥の経緯から女性経営者が多かったが、専業となるに伴い醸造等の肉体労働に対応するため、男性経営者が増えていく。特にイギリスの場合は身分の低い者たちが経営者となり、毛織物業や皮革業などの兼業で生計を立てることが多かったそうで、居酒屋が専業として免許による認可制になったのは1552年である。 その後居酒屋は、宗教改革に伴う価値観の変化によって聖と俗の分離がなされ、飲酒が瀆神行為とみなされるようになる16世紀から17世紀にかけて爆発的にその数を増やしていく。この頃の居酒屋は、宿屋の側面が強い「イン」と「エールハウス」、ワインを専門とする「タヴァン」の3種類に分かれていた。このうちタヴァンにはイギリスの上流階級が頻繁に通うようになり、格差が生じるようになった。また農村では共同体の交流の場となり、会合や商談、選挙投票や裁判などが行われた。 19世紀頃になると居酒屋は「パブリックハウス」、通称「パブ」と呼ばれるようになるが、居酒屋としての多機能性は徐々に失われ、純粋に酒類を提供する店に特化する。当時有名だったパブは「ビクトリアンパブ」であり、パブ内において上流(サルーン、パーラー)と中流、下流に階層順に別れていた。やがて上流向けは会員制クラブやサロンに移行し、パブは下層民の店となる。当初パブでは、エールとビールが良く飲まれたが、17世紀にオランダから伝来したジンを主立って提供する立ち飲み形式の「ジンパレス」が猛威を振るう。その後は踊りやショーを提供するミュージックホールが主流となるが、1843年の劇場法によって演劇が禁止され、音楽と踊りのみ認可されて今日に至る。
※この「イギリスの居酒屋」の解説は、「居酒屋」の解説の一部です。
「イギリスの居酒屋」を含む「居酒屋」の記事については、「居酒屋」の概要を参照ください。
- イギリスの居酒屋のページへのリンク