発祥の経緯
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きさらぎ駅の都市伝説がネット上で最初に語られたのは、2004年1月8日深夜のことである。始まりはインターネット掲示板・2ちゃんねるのオカルト超常現象板にあった実況形式スレッドに怪奇体験の相談を「はすみ(葉純)」と名乗る女性とみられる人物が投稿したことであった。 相談の内容は、 98:気のせいかも知れませんがよろしいですか?(2004/01/08 23:14:00)101:先程から某私鉄に乗車しているのですが、様子がおかしいのです。(2004/01/08 23:18:00) から始まるもので、新浜松駅から乗車した遠州鉄道の電車がいつもと違いなかなか停車する様子がなく、ようやく到着した駅が「きさらぎ駅」という名称の見知らぬ無人駅だったというものであった。以後翌日未明にかけて、投稿者「はすみ」とスレッド参加者との応答がリアルタイムで進行した。 投稿された相談内容によると、周囲は人家などが何もない山間の草原で、直前には実在しない「伊佐貫」と言う名称のトンネルを通ったと語っている。その後、不意に降り立った駅の周辺では奇妙な出来事が次々に起こり、携帯電話で助けを求めてもまったく取り合ってもらえなかったという。途方に暮れていたところに、たまたま通りかかった車に乗せてもらった車中でスレッドへの書き込みが途絶え、以後の消息が絶たれたことになっている。
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発祥の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 02:34 UTC 版)
信濃国追分宿の馬子唄が,北前船の船頭たちによって伝わったものと,越後松坂くずしが謙良節として唄われていたものが融合されたとされている。今の江差追分の原形として大成させたのは,寛永年間,南部国の出身で,謙良節の名手であった座頭の佐之市によるものであると云われている。 その後,歌い継がれる間に幾多の変遷を経て,浜小屋節や新地節など多くの流派が発生した。1908年(明治41年)に,追分節の統一を図る動きが生まれ,追分節正調研究会が発足し,各派の師匠たちが論議を重ねた結果,正調追分節の基礎が固まった。
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