イギリスの対日協力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:57 UTC 版)
当時、世界の重要な拠点はイギリスとフランスの植民地になっており、主要港も同様であった。後に日本海海戦により壊滅したバルチック艦隊は極東への回航に際して港に入ることができず、スエズ運河等の主要航路も制限を受けた。また、イギリスの諜報により逐一本国へ情報を流されていた。 日本にとって日英同盟は、「軍事資金調達の後ろ盾」、「フランス参戦の回避」、「軍事的なイギリスからの援助」、「対露妨害の強化」といった、日露戦争において大きな保証を得るという側面を持つことになった。 ちなみに日露戦争においては、モンテネグロ公国も日本に対して宣戦布告したとされる。その場合、日本は国際法上2国を相手に戦争したこととなり、イギリスに参戦義務が生じていたこととなる。結局、モンテネグロ公国の宣戦布告は無視され、モンテネグロは戦闘に参加せず、講和会議にも招かれていない。もっとも、モンテネグロが実際に宣戦布告していたか、宣戦布告が正規のものだったかどうかは、異説がある。(参考:外交上の終結まで長期にわたった戦争の一覧)
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