イギリスの守備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/14 15:37 UTC 版)
1814年2月、グレンガリー軽装歩兵連隊のロバート・マクドゥーアル中佐が、マキノー島との通信線を再構築し、基地の指揮を執るよう命令された。マクドゥーアルの最初の任務はヨークからヤング・ストリートとシムコー湖を経て、ジョージア湾に流れるノッタワサガ川まで供給線を開くことだった。ノッタワサガ川は、そこからの航行が岩や浅瀬で妨げられるとしても、マチェダッシュ湾のペニタングィシーン町で基地を設立した方が良いので選定された。しかし、シムコー湖からペニタングィシーンまでの経路は30マイル (50 km) にわたって改良する必要があり、それは冬の間はほぼ不可能なので、ノッタワサガまで陸路を運ぶ方が短く、より容易に改良できるものだった。 マクドゥーアルの部隊はロイヤル・ニューファンドランド・フェンシブルの90名(その大半は海兵として従軍するのに慣れていた)と、4門の野砲を操作する砲兵11名だった。さらにスクーナーHMSナンシーの乗組員を補強するために21名の水兵も連れてきた。ナンシーはセントジョゼフ島で最艤装され、また30人の大工が30隻の平底船の建造を援助していた。 4月19日、マクドゥーアルの平底船が、ニューファンドランド兵、砲兵、水兵と共に川を遡り始め、4月25日に湖に到着した。5月18日にはマキノー島に到着し、飢えた守備兵と同盟インディアンに大量の食糧をもたらすことができ、しかも途中の悪天候で船1隻を失っただけだった。数日後にはカナダのインディアン部ロバート・ディクソン中尉が事実上の指揮を執るインディアン200名によって補強された。 マクドゥーアルは島の守備を強化する命令を出した。現存する砦は島の南側にある港を見下ろす尾根の上にあったが、それ自体が別の樹木の多い尾根に見下ろされており、そこが島の最高地点だった。1812年、イギリス軍はこの尾根に大砲を運び上げ、砦を降伏させていた。マクドゥーアルの部隊は上の尾根に防御柵と小要塞を建造し、それをジョージ砦と名付けた。しかし、マクドゥーアルは、ウィリアム・マッケイ(地元では中佐の階級だった)がプレーリードゥシーンの基地を取り戻すために遠征隊を派遣したので、その守備隊の勢力は弱くせざるを得なかった。
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