イギリスの奪還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 14:24 UTC 版)
「セントジョンズの戦い」の記事における「イギリスの奪還」の解説
フランスは1709年の4月までセントジョンズを占拠したが、コステベルは、占領しておくよりも、要塞を壊して放棄するようにとの命令を出した。イギリスはその地を再占領し、また入植地を再建した。その後フランスは、1713年のユトレヒト条約で領地の多くをニューファンドランドに割譲し、コステベルは、住民を新しい交易地である、イル・ロワイヤル、現ケープ・ブルトン島のルイブールに移転させた。 サントビドは、この軍事行動でサン・ルイ勲章を受け、1718年にイル・ロワイヤルの総督に就任した。
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