ローマ人の建物の活用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 08:14 UTC 版)
「ローマン・バス」の記事における「ローマ人の建物の活用」の解説
スリスの名前はローマ人の侵攻ののちも使用され続け、ローマの言葉でスリスの水を意味するAquae Sulisという町の名前にもなった。その神殿は紀元60から70年に建設され風呂施設はその後300年にわたって徐々に築きあげられた。ブリタンニア時代、そしておそらくクラウディウスの指揮下にあった時も、技師たちは安定した基盤を築くために泥の中にオークの杭を打ち、不規則に鉛を打った石で温泉を囲った。2世紀にはバレル・ヴォールト(英語版)に囲われ、内部にはカルダリウム(熱い風呂)、テピダリウム(暖かい風呂)フリギダリウム(冷たい風呂)があった。5世紀初頭にローマ人が撤退した後、これらは荒廃し、最終的には洪水により泥でふさがり失われた。『アングロサクソン年代記』はこの初期のローマン・バスが6世紀に失われたことを示唆している。およそ130の呪いの板が発見されており、その多くは入浴の最中に泥棒に衣服を盗まれたことに関連するものである。
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