ローマ人との戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 01:11 UTC 版)
「ロベルト・イル・グイスカルド」の記事における「ローマ人との戦い」の解説
1081年に東ローマ帝国征服を目指し、東ローマ皇帝アレクシオス1世の軍を破り、コルフとアルバニアを占領したが、叙任権問題のこじれにより神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世にサンタンジェロ城を包囲されたローマ教皇グレゴリウス7世の救出に呼び戻された。ロベルトの接近によりハインリヒ4世は撤退したが、後を追い、1084年5月にローマに入城し略奪を行った。この間に、ギリシアを占領していた息子のボエモンが占領地を失ったため、再び東ローマ遠征を行ったが、1085年7月17日に熱病で亡くなった。
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