ローマ中心部の開発とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ローマ中心部の開発の意味・解説 

ローマ中心部の開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 20:17 UTC 版)

ローマ建築」の記事における「ローマ中心部の開発」の解説

ユリウス=クラウディウス朝からフラウィウス朝までのローマ建築決定的に保守的で、概してヘレニズム建築延長であったが、アウグストゥス時代顕著であったこの古典主義傾向は、クラウディウス時代になると緩やかに衰退し始める。クラウディウス時代完成したプラエネスティーナ門のようなルスティカ仕上げは、それまで古典的意匠とは相容れず、(水道橋という実用的建築であったこともあるが)それまで伝統とは異な新し建築表現現れつつあったことがわかる。 帝政初期ローマ建築にあって皇帝ネロ造形与えた影響はかなり大きい。彼はローマ芸術の保護者自認しており、今日皇帝浴場呼ばれている建築先駆けとなるネロ浴場、そしてドムス・アウレア黄金宮殿)を建設した前者についてはほとんど何も分かっていないが、後者ローマ市街を焦土化した64年大火災の後に建設された、誇大妄想的な巨大宮殿である。当時ローマ市は非常に密集した状態であったにもかかわらず、エスクイリヌスの丘の斜面テラス造り人工池(現在コロッセオがある場所)とこれを囲む庭園を見下ろすすばらし景観眺めることができた。現在はトラヤヌス浴場地下残され一部のみが残る。八角形半分にしたような中庭挟んで方形中庭を囲む食堂などがある部分八角堂のある部分分かれおおまかな構成当時海辺建設されヴィッラそのものである。内部大理石モザイク使った贅沢なもので、その装飾ルネサンス時代グロテスク呼ばれラファエロ・サンティらに影響与えた。しかし、この建物真に革新的な部分は、ローマン・コンクリートによって構築されヴォールト天井ドームけられた八角型の部屋である。八角堂形式は他にみられないが、ドムス・アウレアではじめ採用されたとは考えにくいので、直接原型があると考えられるドーム頂部からだけでなく、これに付随する部屋への採光確保できるような造形は、オクタウィアヌス時代から培われたローマン・コンクリートあってはじめて成り立つもので、皇帝自らの邸宅革新的な造形採用されたことは、他の建築新し技術意匠もたらす契機となったネロ追放とそれに続く混乱期の後、実権握ったウェスパシアヌス帝は、「ウェスパシアヌス命令に関する法律」が元老院議決により制定されたことで、ユリウス=クラウディウス朝与えられた諸特権確保した(これは以後フラウィウス家に引き継がれる)。これにより、彼は、火災争乱によって破壊されローマ再建着手し灰燼に帰したカピトリウムユピテル大神殿再建するとともに、平和が訪れたことを象徴する建築物として、テンプルム・パキスを建設した。この建築物は、三方列柱廊囲んだ庭園ウェスパシアヌスのフォルム)の一辺占めペディメントを持つ神殿左右に図書館と美術館付属していた。アテナイハドリアヌスの図書館モデルになった可能性指摘されるギリシア建築伝統則した巨大公共建築であった同じくヴェスパシアヌスによって起工され、ネロドムス・アウレア人工池があった場所を埋め立て建設されフラウィウス円形闘技場コロッセウム)は、こちらはローマ伝統的意匠則した大建築物であったコロッセウム意匠ルネサンス建築家たちによって繰りかえし手本とされたが、当時タブラリウムバシリカ・ユリアマルケッルス劇場連なるどちらかというとすでに使い古されデザインで、この建築物すばらしさはむしろ工学的部分にあると言える基礎はかなり深く造られており、池の跡に建設されたにもかかわらず建物は全く沈下起こしていない。下部構造切り石による積石造で、上部構造重量軽減するためにコンクリート用いられた。建設4つ部分分割施工され材料に応じて入念に行程分けされた。その組織的かつ効率的な建設事業はたいへん高度なもので、ローマ建築技術レベルの高さを物語る。 建築家ラビーリウスによって、93年から96年の間に完成したドミティアヌス大邸宅、ドムス・アウグスターナは、パラティヌスの丘聳え古代末期に至るまで皇帝宮殿として機能した謁見のための空間であるアウラ・レギア、バシリカララリウム玄関か?)と、用途はっきりしない部屋持った中庭、そして大宴会場トリクリニウムから成る公式な空間は、フォルム・ロマヌム向かって配置されており、一方で私的空間は、キルクス・マキシムスに向かう斜面形成され、この二つ空間列柱囲まれ中庭接続した皇帝私的空間である翼屋は、公的空間とは対照的な平面持ち中庭を介してキルクス・マキシムス向かって大きなエクセドラがあった。ドミティアヌス計画した他の建築物伝統則した保守的造形であったが、このドムス・アウグスターナのみはネロドムス・アウレア同じくローマン・コンクリートによる革新的な造形を持つ建築物で、上階と下階の平面は完全に独立している。敷地条件よるものではあるが、このように居住空間上下二段構成する試みは、アトリウム中庭のある平面的住宅から、都心部多層住宅への方向性示している。

※この「ローマ中心部の開発」の解説は、「ローマ建築」の解説の一部です。
「ローマ中心部の開発」を含む「ローマ建築」の記事については、「ローマ建築」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ローマ中心部の開発」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ローマ中心部の開発」の関連用語

ローマ中心部の開発のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ローマ中心部の開発のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのローマ建築 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS