ローマ中心部の開発
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ユリウス=クラウディウス朝からフラウィウス朝までのローマ建築は決定的に保守的で、概してヘレニズム建築の延長であったが、アウグストゥスの時代に顕著であったこの古典主義的傾向は、クラウディウスの時代になると緩やかに衰退し始める。クラウディウス帝時代に完成したプラエネスティーナ門のようなルスティカ仕上げは、それまでの古典的意匠とは相容れず、(水道橋という実用的建築であったこともあるが)それまでの伝統とは異なる新しい建築の表現が現れつつあったことがわかる。 帝政初期のローマ建築にあって、皇帝ネロが造形に与えた影響はかなり大きい。彼はローマ芸術の保護者を自認しており、今日、皇帝浴場と呼ばれている建築の先駆けとなるネロ浴場、そしてドムス・アウレア(黄金宮殿)を建設した。前者についてはほとんど何も分かっていないが、後者はローマ市街を焦土と化した64年の大火災の後に建設された、誇大妄想的な巨大宮殿である。当時ローマ市は非常に密集した状態であったにもかかわらず、エスクイリヌスの丘の斜面にテラスを造り、人工池(現在コロッセオがある場所)とこれを囲む庭園を見下ろす、すばらしい景観を眺めることができた。現在はトラヤヌス浴場の地下に残された一部のみが残る。八角形を半分にしたような中庭を挟んで、方形の中庭を囲む食堂などがある部分と八角堂のある部分に分かれ、おおまかな構成は当時の海辺に建設されたヴィッラそのものである。内部は大理石やモザイクを使った贅沢なもので、その装飾はルネサンス時代にグロテスクと呼ばれ、ラファエロ・サンティらに影響を与えた。しかし、この建物の真に革新的な部分は、ローマン・コンクリートによって構築されたヴォールト天井とドームが架けられた八角型の部屋である。八角堂の形式は他にみられないが、ドムス・アウレアではじめて採用されたとは考えにくいので、直接の原型があると考えられる。ドーム頂部からだけでなく、これに付随する部屋への採光を確保できるような造形は、オクタウィアヌスの時代から培われたローマン・コンクリートがあってはじめて成り立つもので、皇帝自らの邸宅に革新的な造形が採用されたことは、他の建築に新しい技術や意匠をもたらす契機となった。 ネロの追放とそれに続く混乱期の後、実権を握ったウェスパシアヌス帝は、「ウェスパシアヌスの命令権に関する法律」が元老院議決により制定されたことで、ユリウス=クラウディウス朝に与えられた諸特権を確保した(これは以後フラウィウス家に引き継がれる)。これにより、彼は、火災や争乱によって破壊されたローマの再建に着手し、灰燼に帰したカピトリウムのユピテル大神殿を再建するとともに、平和が訪れたことを象徴する建築物として、テンプルム・パキスを建設した。この建築物は、三方を列柱廊で囲んだ庭園(ウェスパシアヌスのフォルム)の一辺を占め、ペディメントを持つ神殿の左右に図書館と美術館が付属していた。アテナイのハドリアヌスの図書館のモデルになった可能性も指摘される、ギリシア建築の伝統に則した巨大公共建築であった。同じくヴェスパシアヌスによって起工され、ネロのドムス・アウレアの人工池があった場所を埋め立てて建設されたフラウィウス円形闘技場(コロッセウム)は、こちらはローマの伝統的意匠に則した大建築物であった。コロッセウムの意匠はルネサンスの建築家たちによって繰りかえし手本とされたが、当時はタブラリウム、バシリカ・ユリア、マルケッルス劇場に連なる、どちらかというとすでに使い古されたデザインで、この建築物のすばらしさはむしろ工学的な部分にあると言える。基礎はかなり深く造られており、池の跡に建設されたにもかかわらず建物は全く沈下を起こしていない。下部構造は切り石による積石造で、上部構造は重量を軽減するためにコンクリートが用いられた。建設は4つの部分に分割施工され、材料に応じて入念に行程分けされた。その組織的かつ効率的な建設事業はたいへん高度なもので、ローマ建築の技術レベルの高さを物語る。 建築家ラビーリウスによって、93年から96年の間に完成したドミティアヌスの大邸宅、ドムス・アウグスターナは、パラティヌスの丘に聳え、古代末期に至るまで皇帝宮殿として機能した。謁見のための空間であるアウラ・レギア、バシリカ、ララリウム(玄関か?)と、用途のはっきりしない部屋を持った中庭、そして大宴会場トリクリニウムから成る公式な空間は、フォルム・ロマヌムに向かって配置されており、一方で私的空間は、キルクス・マキシムスに向かう斜面に形成され、この二つの空間を列柱に囲まれた中庭が接続した。皇帝の私的空間である翼屋は、公的空間とは対照的な平面を持ち、中庭を介してキルクス・マキシムスに向かって大きなエクセドラがあった。ドミティアヌスの計画した他の建築物は伝統に則した保守的造形であったが、このドムス・アウグスターナのみはネロのドムス・アウレアと同じくローマン・コンクリートによる革新的な造形を持つ建築物で、上階と下階の平面は完全に独立している。敷地の条件によるものではあるが、このように居住空間を上下二段に構成する試みは、アトリウムと中庭のある平面的住宅から、都心部の多層型住宅への方向性を示している。
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