続く混乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 16:16 UTC 版)
「ベンガル語国語化運動」の記事における「続く混乱」の解説
2月23日の一晩中、ダッカ医科大学の学生はShaheed Smritistombho(殉難者の碑)の建造に取り組んだ。2月24日の夜明けに完成したこの記念碑には「Shaheed Smritistombho」と書かれた手書きの紙が貼り付けられた。虐殺で殺されたソフィウル・ラフマンの父親により落成式が行われたが、2月26日に警察隊により取り壊されてしまった。2月25日、ナラヤンガンジの工場労働者がゼネラル・ストライキを行った。抗議活動は2月29日にも行われ、参加者は警察によって厳しく打ちのめされた。 政府はニュースを検閲し、抗議活動中の正確な犠牲者の数の公表を控えた。ほとんどの親政府系メディアは混乱と学生騒乱をけしかけたとしてヒンドゥー教徒と共産主義者に責任を負わせた。アブル・バルカトとラフィク・ウディン・アフメドの家族は警察を殺人で告訴しようとしたが、告訴は警察によって棄却された。4月8日、事件についての政府の報告書は学生への警察に発砲を正当とする何の理由も示すことができなかった。
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