続く粛清
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 17:42 UTC 版)
「グレゴワール・カイバンダ」の記事における「続く粛清」の解説
1964年までにツチの政治指導者たちを粛清してしまった後、カイバンダは別の政党である大衆社会促進同盟(L'Association pour la Promotion Sociale de la Masse, 略称はAPROSOMA)の排除に手をつけた。理由は、APROROMAがツチに対して宥和的で、ツチの市民を登用していたからである。APROSOMAの活動家は主に、中央南部のブテラと、南西部のキニャガ出身の者からなっており、このうちキニャガは歴史的な理由から、ツチの影響力の強い地域だった。カイバンダは自身の出身地であるギタラマの人間を重用しその他の地域出身者を排除していったが、ルワンダ南部出身者が悩みの種で、その結束の強かったのがAPRROSOMAであり、それをつぶすことが狙いだった。APROSOMAはフツがリーダーの政党だったためつぶされることはなかったが、1964年から1967年にかけてゆっくりと時間をかけて政治的空間や行政の主要部から排除されていった。 カイバンダは、司法からもAPROSOMAを排除した。ルワンダの憲法には司法の独立が明記されているにもかかわらず、カイバンダは、APROSOMA出身の最高裁判所長官ンゼイマナ(Nzeyimana)を「政府との不一致」を理由にして罷免している。
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