ローマン・コンクリート
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ローマン・コンクリート(ラテン語: Opus caementicium オプス・カエメンティキウム, 英: Roman concrete)または古代コンクリート(こだいコンクリート)とは、ローマ帝国の時代に使用された建築材料。セメントおよびポッツオーリ(イタリア・ナポリの北にある町)の塵と呼ばれる火山灰を主成分とした。現代のコンクリートは、カルシウム系バインダーを用いたポルトランドセメントであるが、古代コンクリートはアルミニウム系バインダーを用いたジオポリマーに類似する。ローマのコロッセオには古代コンクリートも使用されている。
ローマ帝国滅亡後は技術が失われ、中世ヨーロッパの大型建築は、石造が主流となった。産業革命後、1824年にはポルトランドセメントの発明によるコンクリートが以降、世界的に広く利用されるようになったが、ローマン・コンクリートのような堅牢性・耐久性は失われた[1]。
- ^ “コンクリ、2000年の計 火山灰で耐久力アップ”. 日本経済新聞朝刊. (2017年3月19日)
- ^ “ビル・マンションの長寿命化 (1) コンクリート構造物の寿命”. コンクリート診断センター. 2014年11月17日閲覧。 “税法上定められている法定耐用年数は、住宅・学校で60年、事務所で65年、工場・倉庫で23~45年...本来の建物の寿命ではありません。”
- ^ “第I部/第1章/第3節 社会インフラの維持管理をめぐる状況 コラム コンクリートの寿命について”. 国土交通白書2014. 国土交通省. 2014年11月17日閲覧。 “コンクリートの寿命は、比較的好条件のもとで100年程度、海岸部等の悪条件下では50年程度といわれています。(法政大学教授・溝渕利明へのインタビューより)”
- ^ “マンションの寿命は何年か”. ブリスハウス. 2014年11月17日閲覧。 “一説によるとコンクリートの中性化の速度はかぶり厚さ1cm当たり約30年...建築基準法では梁や柱を包むコンクリートは3cm以上と決められているので、3cmとすると単純計算で耐用年数は90年といえる...”
- ^ a b c d e “コンクリ、2000年の計 火山灰で耐久力アップ”. 日本経済新聞朝刊. (2017年3月19日) 2019年10月21日閲覧。
- ^ “出前授業(工学部)”. 入試案内. 鹿児島大学. 2011年6月1日閲覧。 “古代ローマ時代にはシラスと同じような性質を持つ火山灰が...コロセウム等の建造物にたくさん使われていた。...シラスを用いたコンクリートを開発...”
- ^ “地球の温暖化防止と鉱物質廃棄物処理に貢献するジオポリマー技術” (PDF). 山口大学. 2009年11月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月5日閲覧。
- ^ 「なぜ古代ローマ時代のコンクリートは2000年もの耐久性を誇るのか?」の謎が明らかに、GIGAZINE、2023年1月10日
- ^ “Questions and answers on Roman concrete : Q 3. How did the Romans mix their concrete?” (英語). The Roman Pantheon: The Triumph of Concrete. 2014年11月14日閲覧。
- ^ “建設技術歴史展示室”. 清水建設. 2014年11月14日閲覧。
- ^ 板屋 (2001), pp. 29-30
- ^ 「ローマ『完成』への道」, p. 46
- 1 ローマン・コンクリートとは
- 2 ローマン・コンクリートの概要
- 3 性能
- 4 施工
- 5 使用例
ローマン・コンクリート
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「ローマ建築」の記事における「ローマン・コンクリート」の解説
ローマ建築の構造体を考える上で重要な工法は、現在、ローマン・コンクリートや古代コンクリートなどと呼ばれているものである。ただし、これは今日用いられているコンクリートとは全く別の組成で、生石灰を焼き、水和反応によって固化(炭酸カルシウム)するものである。粗骨材を割石とするものを、カエメンティキア・ストゥラクトゥラ、あるいは「オープス・カエメンティキウム」と呼ぶ。特に、イタリア半島中央部で産出される、現在ポッツォラーナと呼ばれている砂(科学的には砂ではなく、二酸化硅素を多量に含む沈殿物)と混ぜると、高い強度をもたらすことが知られている。ローマの構造体は表面の石や煉瓦の積み方によって分類され、外装を乱石積みとするものを「オープス・インケルトゥム」、石で編み目のように構成するものを「オープス・レティクラトゥム」、煉瓦で構成するものを「オープス・テスタケウム」、煉瓦と石の混成積みであれば「オープス・ミクストゥム」などと呼ばれる。このうち、内部をモルタルと骨材(カエメンタ)による充填材で成立させているものが、今日ローマン・コンクリートと呼ばれているものである。 ローマン・コンクリートは最初にカンパーニアで壁材として用いられ、ポンペイには紀元前4世紀から紀元前3世紀のものと思われる石灰石との混成壁が発見されている。ローマ市でも、早ければ紀元前3世紀後半には導入されたと考えられる。オープス・インケルトゥムと言える構造は、ポルティクス・アエミリアにおいて、紀元前193年の建設時か、あるいは紀元前174年の再建時において導入されたらしい。オープス・レティクラトゥムは紀元前2世紀末に登場し、紀元前117年に建設されたフォルム・ロマヌムのラクス・イントゥルナエで用いられた。オープス・テスタケウムも紀元前2世紀頃に導入された。共和政初期のローマン・コンクリートは強度にばらつきが多く、混和剤の調合量やポッツォラーナの比率などは経験(と、かなりな部分は運)に頼っていたようである。しかし、長期に渡る経験と試行錯誤によって、共和制時代の末期までには、ローマン・コンクリートはある程度、安定的な運用を可能にしていた。それでも、紀元前33年に起工したアグリッパの水道橋のように、施工後十数年でそのほとんどを改修しなければならない場合もあったようである。 初期帝政時代には、ポッツォラーナはプテーオリ(現ポッツォーリ)から船積みされて輸入されるまでに至り、また、石切り場によってはこれと同等の強度を示す砂を手に入れることができることも発見された。このことは、ウィトルウィウスの『建築について』の中で指摘されている。とはいえ、共和制時代には単にコストの問題で使用されるに過ぎず、採用される建築も倉庫や闘技場、浴場など、比較的新しいタイプのものか、伝統的な神殿建築の基礎部分など、人目に触れない部分に限られていた。アーチ構造や、これを連続したヴォールト構造はローマン・コンクリートが最も得意とする造形であったと思われるが、ローマ建築に固持されていたギリシア建築の持つ権威は高く、水平梁がアーチに変わるまでには時間を要した。ローマン・コンクリートが新しい建築的表現を獲得するために採用され、その建築技術を余すところなく見せ始めるのは五賢帝時代、特にトラヤヌスとハドリアヌスの時代である。ローマン・コンクリートによる造形は、ギリシア建築ではなし得なかった巨大空間を作り出すことに成功し、パンテオンでは、その雄大な内部空間を実感することができる。
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