共和政初期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 01:48 UTC 版)
ローマ海軍がいつ設立されたかは詳しく分かっていない。ローマはエトルリア人と違って、海上交易よりも農業を中心とする社会であったために海軍や交易といった海上での活動はほとんどなく、海軍を設立することはまさに冒険的な出来事であった。そんなローマ海軍が初めて言及されたのは、紀元前4世紀ごろ、古代ギリシャの都市デルポイに使者を派遣したことを記す書物においてである。彼らをローマからギリシアまで送り届けた軍船がローマ海軍初の言及である。しかしこの頃のローマ海軍は取るに足らないレベルの存在であったと言われている。伝統的に、ローマ海軍が正式に設立されたのは紀元前311年、ローマがカンパニアを征服した年とされている。この頃の海軍は、ドゥオウィリと呼ばれる2人の長官によって運営されていた 。海軍は20隻の艦船を有し(そのほとんどは三段櫂船のような船であった。)、10隻ずつそれぞれの長官が率いていた しかしながら、この頃の海軍は非常に弱く経験も不足していたため度々大敗を決した。それゆえ、ローマ共和政はイタリア半島を征服する際、陸軍を中心に軍事活動を行い、海軍は補助的な役割しか担うことはなかった。このような仕組みは第一次ポエニ戦争の頃まで継続されていた。海軍の主な役割は、イタリア半島沿岸部や河川をパトロールし、海上貿易を海賊の襲撃から守り抜くことであった。しかし徐々にその役割は増していき、イタリア半島南部に勢力を広げていたギリシア人植民都市などを包囲・殲滅する際に海上側から都市を包囲する、などといった軍事的役割も担うようになったためより多くの軍船や要員の供給を受けるようになった。
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