共和政ローマ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 16:31 UTC 版)
「チェルヴェーテリ」の記事における「共和政ローマ時代」の解説
アウルス・ゲッリウスやストラボンによれば、紀元前390年頃のガリア人によるローマ劫掠の際、ウェスタの処女や女神ウェスタの炎などをカエレ人が守った見返りとして、投票権のない最初のムニキピウムとされたという。 ティトゥス・リウィウスによれば、紀元前358年にカッシウス条約が復活したことをきっかけにローマとエトルリアは戦争状態となり、カエレはエトルリア側についたが、紀元前353年に100年の和平が成立した。この前353年にカエレに投票権のない市民権が付与されローマに併合されたとする説もあるものの、根拠が薄いという指摘があり、後にカエレが自らローマに領土の半分を割譲してその支配下に入ったとするカッシウス・ディオの記述から、紀元前274年前後にローマの支配下に入ったとも考えられ、その場合、カエレは投票権のない市民権を付与された最初のムニキペスではないことになる。 紀元前90年頃の同盟市戦争の結果、その後にローマの支配下に入った自治市に対しては四人官が派遣されたが、カエレは帝政期においても独自の独裁官が市の自治を担っていた。
※この「共和政ローマ時代」の解説は、「チェルヴェーテリ」の解説の一部です。
「共和政ローマ時代」を含む「チェルヴェーテリ」の記事については、「チェルヴェーテリ」の概要を参照ください。
共和政ローマ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 17:14 UTC 版)
「第9軍団ヒスパナ」の記事における「共和政ローマ時代」の解説
ガリアでの遠征の後もカエサルの指揮に従い、ルビコン川を渡る。そして紀元前48年グナエウス・ポンペイウスとのファルサロスの戦いに従軍。その後紀元前46年にはアフリカのポンペイウス残党の掃討に参加する。 カエサルの暗殺後、軍団の退役兵はオクタウィアヌスによって呼び戻され、シチリア島でのセクストゥス・ポンペイウスの勢力との戦いに従軍、勝利。その後マケドニアに派兵される。紀元前31年にはアクティウムの海戦に従軍、マルクス・アントニウスに勝利した。しかしながら、第9軍団も参加したこの一連の内乱ではオクタウィアヌス、アントニウス双方で第1軍団ゲルマニカ、第2軍団アウグスタ、第4軍団マケドニカ、第5軍団アラウダエ、第6軍団ウィクトリクス、第10軍団ゲミナ、第20軍団ウァレリア・ウィクトリクスが、そして恐らく第8軍団アウグスタまでも加わる程に大きなものであった。
※この「共和政ローマ時代」の解説は、「第9軍団ヒスパナ」の解説の一部です。
「共和政ローマ時代」を含む「第9軍団ヒスパナ」の記事については、「第9軍団ヒスパナ」の概要を参照ください。
- 共和政ローマ時代のページへのリンク