共和政ローマ時期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/19 09:16 UTC 版)
共和政ローマへの併合後、元老院属州として60年間は無事に統治され、中核となるアテナイやスパルタなどは、古代ギリシア時代同様に一定の自治を保有していた。当時は近隣のマケドニアと一つの属州であった。 紀元前88年、ポントス王ミトリダテス6世は、ビテュニアやカッパドキアの領有を巡ってローマとの間で戦端を開いた。アカエアをローマから解放することを唱えたミトリダテスに対して、アテナイなどアカエア属州に属するポリスの多くがミトリダテスを支援した。結局、ルキウス・コルネリウス・スッラが指揮を取るローマ軍の前にミトリダテスは敗北。紀元前87年にアカエアは再びローマの軍門に下った(第一次ミトリダテス戦争)。 紀元前86年、ルキウス・コルネリウス・キンナらポプラレス(平民派)政権を打倒すべく、スッラは首都ローマへの進軍を開始したが、それに先立ってスッラはテーバイやアテナイを略奪して、美術品や神殿を荒らして回った。スッラ軍による略奪の傷跡は大きく、アカエア属州内の諸都市は商業面でローマのライバル足り得る存在では無くなった。しかし、アテナイはアレキサンドリアと共に文化都市としてローマ人の尊敬を集めた。マルクス・トゥッリウス・キケロらがアテナイで学問を習得したことが知られている。 紀元前49年からのローマ内戦でアカエアは当初、グナエウス・ポンペイウスら元老院派に組したが、ファルサルスの戦いでガイウス・ユリウス・カエサル派が勝利すると、カエサル支持へ転じた。
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