共和政初期の戦争とは? わかりやすく解説

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共和政初期の戦争(紀元前505年-紀元前504年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/12 19:01 UTC 版)

ローマ・サビニ戦争」の記事における「共和政初期の戦争(紀元前505年-紀元前504年)」の解説

王政ローマ消滅は、サビニにローマとの政治的位置変更野望与えたローマとの条約はその王と締結したものであり、その王が今はなくなったためである。 ハリカルナッソスのディオニュシオスによると、セクストゥス・タルクィニウス最後の王タルクィニウス・スペルブスの子)によるルクレティアの陵辱王政廃止きっかけ作ったのであるが、彼はサビニに対してローマ王政復活させるべきと説いた。サビニ軍はサビニ人将軍指揮官のもとローマ向かったが、簡単に敗北したセクストゥス(あるいはスペルブス)はサビニ軍は統制取れていないとし、フィデナエおよびカメリアからの援軍要請した。彼らはセクストゥス自信影響され、彼を反ローマ軍総司令官とした。 リウィウスはこの戦争に関するタルクィニウスの関与には言及していない。彼によると、紀元前505年ローマとサビニの間に戦争起こり執政官マルクス・ウァレリウス・ウォルススプブリウス・ポストゥミウス・トゥベルトゥス凱旋式行っている。この凱旋式凱旋式記録確認できる細部失われている。 翌年には両者の対立がさらに高まった執政官プブリウス・ウァレリウス・プブリコラ4回目)、ティトゥス・ルクレティウス・トリキピティヌス2回目であったリウィウスによると、サビニの緊張の高まりが、彼ら経験有する執政官選出つながったディオニュシオスによると、サビニ軍は、おそらく対岸ローマ軍布陣していたために、アニオ川の手前で停止した。サビニ軍は、フィデナエ近郊および市内野営した対すローマ軍は、プブリコラがサビニ近郊に、トリピティヌスがフィデナエ近郊の丘の上野営したリウィウスディオニュシオスも、後にアッピウス・クラウディウス・サビヌス・インレギッレンシスクラウディウス氏族創始者)と呼ばれることになるアッティウス・クラウススが、親族一同500人の兵士およびクリエンテスと共にローマへ亡命したのはこのときであると一致している。ローマクラウディウス元老院議員とし、亡命サビニ人アイノ川の北側土地与えたディオニュシオスによると、ローマアイノ川北岸、フィデナエ周辺の土地約束したが、そのためにはフィデナエ戦って奪い取る必要があった。リウィウスによるとクラウディウスはサビニの和平派一人であったが、戦争派との対立のためにインレギルム(en )からローマへ亡命したディオニュシオスによると、ローマ軍はサビニ軍に以下のように勝利した。タルクィニウスの計画では、プブリコラの野営地に対して夜襲をかけ、塹壕埋めて壁を梯子乗り越えることとなっていた。フィデナエ市内の軍は出撃し、この攻撃隠蔽すると共に、トリピティヌスの攻撃備えた。しかし、サビニ軍からの脱走兵ローマ軍騎兵捕らえた捕虜が、この計画をプブリコラに漏らした。この情報はトリキピティヌスにもすぐに伝えられた。攻撃夜半過ぎ開始された。サビニ兵は塹壕埋め投げ縄で塀を乗り越えた。サビニ兵はローマ兵は備えもなく野営地にいると思っていた。後知恵にはなるが、タルクィニウスは彼の兵が立て物音にも関わらず反攻がなく、また見張りもいなかったことから危険を察するべきであった。彼はローマ軍熟睡しているためと判断したが、あきらかに過小評価であった実際にローマ軍戦闘準備整えており、カストラ古代ローマ野営地周囲塁壁待ち構えていたが、暗闇のためサビニ軍からは視認できなかった。サビニ兵が塀を乗り越えてくると、直ちに音を立てず殺された。このとき月が昇ったが、サビニ兵が見たものは、待ち構えるローマ兵と自軍兵士死体の山であった。サビニ兵は武器捨て逃げ出した静謐維持する必要が無くなったため、ローマ兵は叫んだが、これは丘の上のトリピティヌスに対す合図でもあった。トリピティヌスは騎兵出撃させ、待ち伏せしていたフィデナエ兵を撃破した歩兵続きフィデナエ兵は虐殺された。サビニ兵は武器捨てて個々逃れていった。サビニ兵は13,500戦死し、4,200捕虜となった戦闘はまだ終わらなかった。フィデナエ未だ陥落していなかった。 リウィウス簡素に、両執政官がサビニ領に侵攻し略奪行い、サビニ軍に勝利しローマ凱旋した、と記する凱旋式記録に残るのは、プブリコラがサビニとウェイイ勝利し紀元前504年5月凱旋式が行われたということのみである。

※この「共和政初期の戦争(紀元前505年-紀元前504年)」の解説は、「ローマ・サビニ戦争」の解説の一部です。
「共和政初期の戦争(紀元前505年-紀元前504年)」を含む「ローマ・サビニ戦争」の記事については、「ローマ・サビニ戦争」の概要を参照ください。

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