共和政期のゲニウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 03:43 UTC 版)
古代ローマの文献に明確にゲニウスが登場するのは劇作家プラウトゥスの作品が最初で、『捕虜』という喜劇のある登場人物が、別の人間の父が自分のゲニウスに安いサモス焼きしか捧げないほど強欲なので、そのゲニウスすらそれを盗もうとしないほどだと冗談を言っている。この一節でわかることは、個人とそのゲニウスは同一視されていないが、その個人とゲニウスは強欲さという同じ性質を共有しているということである。 暗示的なゲニウスはもっと早くから文献に現れている。例えばホラティウス・コクレスは共和政ローマ初期にエトルリア人が渡ろうとしたスブリキウス橋を守ろうとした。橋が落とされ、彼はテヴェレ川に落ちた。このとき彼は岸まで泳ぎ着けるようにテヴェレに Tiberine pater te, sancte, precor ...(聖なる父テヴェレよ、私はあなたに祈る…)と祈った。この場合のテヴェレは川そのものではなくそのゲニウスである。この文章ではゲニウスという言葉は出てこないが、後世の文献ではゲニウスとされている。
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