共和政末期からユリウス=クラウディウス朝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 17:29 UTC 版)
「第4軍団スキュティカ」の記事における「共和政末期からユリウス=クラウディウス朝」の解説
マルクス・アントニウスの編成ではあるが、その起源は詳しく分かってはいない。しかしながらアントニウスがパルティア遠征を始める時期であっただろうと考えられている。また名前よりスキタイ人と戦った事も想定される。アントニウスがアクティウムの海戦の後に自死するとオクタウィアヌスは第4軍団をドナウ川流域の属州モエシアに配備、公共施設の建築、ローマ街道の整備などに従事する。また、後のローマ皇帝ウェスパシアヌスもこの時期の軍団に所属していた。 アルメニア王国との領有権でパルティアとの軋轢が生じると皇帝ネロは属州カッパドキアのレガトゥスであったグナエウス・ドミティウス・コルブロを派遣、第3軍団ガッリカ、第6軍団フェッラタとともに第4軍団はパルティアとの戦いに従軍する。62年には第12軍団フルミナタとともに再びパルティア戦役に参加するが、ランデイアの戦いで敗北し、降伏してしまうという不名誉な結果に終わった。
※この「共和政末期からユリウス=クラウディウス朝」の解説は、「第4軍団スキュティカ」の解説の一部です。
「共和政末期からユリウス=クラウディウス朝」を含む「第4軍団スキュティカ」の記事については、「第4軍団スキュティカ」の概要を参照ください。
- 共和政末期からユリウス=クラウディウス朝のページへのリンク