共和政期におけるプロコンスル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/27 13:51 UTC 版)
「プロコンスル」の記事における「共和政期におけるプロコンスル」の解説
共和政において軍事最高指揮官でもあるコンスル(執政官)は任期が1年と定められていたため、戦争が長期にわたった場合は指揮官たるコンスルが戦争中に交代する事になり、軍事作戦の継続性や兵士の士気などの面で問題があった。そのため、コンスルの任期満了後も軍事指揮権を継続して行使できるよう、プロコンスルの制度が作られた。 その後ローマが覇権を握り、各地に属州を持つようになると、コンスルを任期満了で退任した者が、その後1~3年の間、プロコンスルとしてローマの属州総督として派遣された。プロコンスルが統治する属州はいくつか決まっており、各年の執政官の任期を終えた2名は、元老院の任命する属州に派遣された。どの属州に派遣されるかは、無作為に選ばれる場合もあれば、プロコンスルの職務に与る者同士で協議する場合もあった。なお、プラエトル(法務官)も任期後は同様にプロプラエトル(前法務官)として属州総督となった。
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