前法務官(紀元前214年-紀元前211年)
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「マルクス・ウァレリウス・ラエウィヌス」の記事における「前法務官(紀元前214年-紀元前211年)」の解説
紀元前214年、ピリッポスはイリュリアに侵攻しアポロニアを攻撃した。しかし、そこで激しい抵抗にあうと、目標をオリクに変更しこれを占領した。オリクの市民はブルンディシウム(現在のブリンディジ)に使節を送り、ラエウィヌスに救援を求めた。翌日にはラエウィヌスはバルカン半島に渡海し、オリクを奪還した。そのときに、マケドニア軍に再度包囲されていたアポロニアからの使節が到着した。ラエウィヌスはプラエフェクトゥス(副司令)のクィントゥス・ネウィウス・クリスタに分遣隊2,000を与え、夜襲によってマケドニア軍を撃破した。ピリッポスは船でアポロニアから脱出しようとしたが、ラエウィヌスはアオイ川の河口を封鎖していた。このため、ピリッポスは船を焼却し、陸路マケドニアに撤退せざるを得なかった。 この勝利を受け、ラエウィヌスはイリュリアで冬営した。続く3年間もバルカン半島に留まり、ギリシア都市と強力な対マケドニア同盟を構築したが、それにはアエトリア同盟、ペルガモン、スパルタ、エーリスおよびメシニが含まれていた。中でも最も強力なのはアエトリア同盟であり、アカルナニア(en)とエピロスの大部分が支配下におくと約束した。アエトリア同盟は主に陸戦を、ラエウィヌスは海上での作戦を担当した。紀元前212年、ラエウィヌスはザキントス島を占領し、さらにアカルナニアの都市であるエニアダとプンプも占領した。紀元前211年にはコリントス湾に達し、アエトリア同盟軍と共にアンティキラを占領した。これらの攻撃のためにピリッポスの動きは制限され、イタリアへの上陸を考慮することはできなかった。
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