キリキア赴任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 09:43 UTC 版)
「ルキウス・コルネリウス・スッラ」の記事における「キリキア赴任」の解説
法務官の後、スッラは前法務官(プロプラエトル)としてキリキア担当となった。そこで彼はポントゥス王ミトリダテス6世の動向ににらみを効かせ、カッパドキアのアリオバルザネス1世(英語版)の復位を後押しした。ミトリダテスの将軍アルケラウスと戦った時には、地理に不案内な上に敵が大軍だったため一時休戦を申し入れ、敵が油断した隙に撤退した逸話が残っている。またユーフラテス川でパルティアの使者オロバズス(英語版)とアリオバルザネスを交え鼎談しているが、これはパルティアとローマの最初の交流であり、スッラにとって幸運なことだった。 このことは評価される一方、彼の出過ぎた行動に非難も受けている。しかし、オロバズスの従者からは、「彼は必ず世界で最も偉大な男になる」と言われたという。スッラは紀元前92年頃の帰国後、他国の王から大規模な贈賄を受けた容疑で告発されたが、後にこの告発は取り下げられた。しかし、これで執政官への立候補が遅れたのではないかとも考えられている。
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