外交任務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/11 17:58 UTC 版)
「クィントゥス・ミヌキウス・ルフス」の記事における「外交任務」の解説
正式な凱旋式の実施は拒否されたものの、ルフスは引き続き政治的影響力を保ち、行政官としての手腕を見せたと思われる。このため、紀元前180年代、またおそらくは紀元前174年にも外交交渉を担当している。ガラティア戦争(en)が勃発すると、前執政官のガイウス・マンリウス・ウルソと共に派遣された10人のレガトゥスの一人に選ばれており、アンティオコス3世との交渉を行っている。ウルソのガラティア戦争の勝利に対して凱旋式を認めるかが、このとき議論になっている。この戦争は元老院の正式な宣戦布告無しに戦われたものであったからである。インペリウムを持った執政官や法務官(あるいは前執政官や前法務官)が海外に出征した場合、その権限と元老院を中心とする共和政との間に歪が生じるという不安をもたらした。 紀元前183年には、ケルト人の北イタリア侵入を阻止するためにガリア・トランサルピナに送られた3人の使節の一人に選ばれた。紀元前174年にはクレタ島の反乱鎮圧のためにクィントゥス・ミヌキウスという人物が10隻の船と共に派遣されているが、これはおそらくルフスのことと思われる。
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