ガラティア【ガラティア】(草花類)
登録番号 | 第6940号 | |
登録年月日 | 1998年 10月 29日 | |
農林水産植物の種類 | スイトピー | |
登録品種の名称及びその読み | ガラティア よみ:ガラティア | |
品種登録の有効期限 | 15 年 | |
育成者権の消滅日 | 2004年 10月 30日 | |
品種登録者の名称 | 株式会社サカタのタネ | |
品種登録者の住所 | 神奈川県横浜市都筑区仲町台二丁目7番1号 | |
登録品種の育成をした者の氏名 | 森山昭 中川雅博 | |
登録品種の植物体の特性の概要 | ||
この品種は,「スーパーミッドブルー」から育成されたものであり,花は旗弁及び翼弁が明青紫色となる冬咲性の切花向き品種である。 草型は高性,茎の最小径及び最大径は中,茎のアントシアンの発現の有無は無,第一次分枝の発達程度は少,節間長は長である。複葉対数は1,葉形は広卵形,波打ち程度は中,着葉角度は斜上,葉長,葉幅及びたく葉の大きさは中,葉柄着生部の色は無,葉柄の長さはやや長である。花の着生密度は中,花の向きは斜上,花形はオープン,花径,旗弁長及び旗弁幅は中,翼弁長はやや長,翼弁幅,舟弁長及舟弁幅は中,旗弁及び翼弁の上部,中央部及び下部の色は明青紫(JHS カラーチャート8004),舟弁上部の色は淡紫(同8302),中央部の色は黄白(同2501),下部の色は紫白(同 8001),旗弁の形は全縁,旗弁の数は1,翼弁の数は2,がくの形は鐘状,大きさは中,色は無,花柄の太さはやや細,小花柄の太さ,花柄の長さ,小花柄の長さ,一花房当りの花数及び花の香りは中である。開花の習性は冬咲性,冬咲性の開花期の早晩性は中である。 「スーパーミッドブルー」と比較して,第一次分枝の発達程度が少ないこと,舟弁上部の色が淡紫であること,開花の習性が冬咲性であること等で区別性が認められる。 | ||
登録品種の育成の経過の概要 | ||
この品種は,昭和61年に出願者の農場(神奈川県藤沢市)において,「スーパーミッドブルー」の開花株の中から選抜,以後,固定を図りながら特性の調査を継続し,平成3年に,その特性が安定していることを確認して育成を完了したものである。 |
ガラティア
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ガラティアまたはガラテヤ(古代ギリシア語: Γαλατία, ラテン語: Galatia)は、アナトリア(現代のトルコ共和国)中央部を指す古代の地方名および王国名。
現在では新約聖書の『ガラテヤの信徒への手紙』で知られる。アンキュラ(現在トルコの首都アンカラ)を首都とし、北はビティニアとパフラゴニア 、東はポントゥス、南はリュカオニアとカッパドキア、西はフリュギアに接する。フリュギア東部とともに、ヨーロッパから侵入したガリア人(ガラティア人)に支配され、ガラティアの名もガリア人にちなむ。彼らは紀元前3世紀に支配者になった。
ガラティア王国
このガリア人たちは、当時トラキア・マケドニア・ギリシアに侵入した人々の一部である。このグループは紀元前279年、トラキアに移住し、彼らはさらに紀元前278年から翌年にかけアナトリアに現れた。これはビティニアの王位争いに引き入れられたものであるが、その後も彼らは勇猛な戦士として尊重され、ペルガモン王国などアナトリア諸国をめぐる戦いに傭兵あるいは同盟軍としてしばしば参加する。
彼らは約1万人の戦士、およびその家族などからなり、3部族に分かれていた。マケドニア・ギリシアに侵入したグループはまもなく撃退されたが、アナトリア中央部に移住したガリア人は、もとのフリュギアの東部に定住し王国を建て、ここがガラティアと呼ばれることになった。
紀元前2世紀初めには、セレウコス朝のアンティオコス3世に同盟するが、ローマ・シリア戦争でローマに敗れた(紀元前189年)。
これ以降軍事力が低下し、しばしばポントゥスに屈服するが、ポントゥス王ミトリダテス6世の時代に反抗し、ローマを支援して解放される。紀元前64年にローマの同盟国(属国)となり、旧王国は解体されて3人の部族長が支配した。しかしまもなくその中の1人デイオタルスが支配者となり、ローマからも王として認められた。
ガラティア属州
その3代目の王アミンタスはフリュギアなどに領土を拡張したが、彼の死(紀元前25年)により王国はローマに遺贈されて「ガラティア属州」となった。これには本来のガラティアのほか、元のフリュギアの一部も含まれる。ガラティア人はローマに対して非常に従順で、ガリア・ローマ両文化が融合した文化(ヨーロッパのガロ・ローマ文化に類する)が栄えた。
パウロは1世紀半ばにガラティア(ガラテヤ)の地にキリスト教伝道を行った。第2次伝道で彼らは、ゼウス・ヘルメースというギリシアの神の化身として讃えられたという(使徒行伝)。彼による『ガラテヤの信徒への手紙』の宛て先は、本来のガラティア(北部)でなく、もとフリュギアだった南部地方とする説もある。
ガラティア語はヒエロニムスの時代(387年頃)にも話されており、彼は「アンキュラとトリーア(現在ドイツ)で同じケルト語が使われている」と書いている。
ガラティア人がその後どうなったかはよくわからないが、ギリシア語、後にはトルコ語を話す人々に同化したと思われる。
言語学者の泉井久之助は、ガラティア人とは古いケルト語で「勇者、戦士」を意味するとしている[1]。
脚注
外部リンク
ガラティア
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「問題児たちが異世界から来るそうですよ?」の記事における「ガラティア」の解説
亜麻色の髪を三つ編みにして垂らしている小人型の水辺の精霊ニンフ。恥ずかしがり屋。
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