紀元前72年の戦役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 09:31 UTC 版)
ローマ軍がポントス王国の心臓部に到達するや否や、ルクッルスは配下の軍団に対し王国内の肥沃で金銀に潤っている町への略奪行為を許可した。その一方でポントス側はこの略奪行為を止めることは出来ず、打ち破られた自軍の再結成に追われていた。紀元前72年、コッタはヘラクレアへ向かい、ルクッルスはガラティアを経由してポントス王国へと進軍した。ガラティア人はミトリダテス6世を嫌っていたため喜んでローマ軍だんに物資を提供し、彼らが収奪もせずガラティアを通過していくのを見届けたくてたまらないようであった。ローマ軍がポントス王国の心臓部に到達するや否や、ルクッルスは配下の軍団に対し肥沃で金銀に潤っている王国内での略奪行為を許可した。ミトリダテス6世側はこの自領での略奪行為を止めることは出来ず、打ち破られた自軍の再結成に追われていた。ミトリダテスは結局40,000人の軍(うち騎兵4,000騎)カビラ近郊に集結させ、ルクッルスを待ち構えた。そして遂にルクッルスもカビラに進軍を再開したが、前哨戦で打撃を受け、一旦ローマ軍団は撤退を余儀なくされた。これよりしばらくの間戦闘は散発的にに勃発し、ルクッルスの暗殺未遂事件まで起きた。
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