外交事務での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 15:35 UTC 版)
1916年(民国5年)、陳介は国務院参議に転じる。翌年、農商部秘書兼財政部参事となり、まもなく国務院軍機討論処処員に任ぜられた。1918年(民国7年)8月、安福国会で参議院議員となり、さらにドイツとの断交が決定されると、天津・漢口の旧ドイツ租界回収事務に携わっている。1920年(民国9年)12月、江漢関監督に任命され、翌月には外交部特派湖北交渉員を兼任した。1924年(民国13年)2月、全国水利局副総裁に移ったが、同年9月に辞任し、以後政界からしばらく離れることになる。 1928年(民国17年)9月以降、陳介は実業界に活動の場を移し、長沙明徳中学董事、上海中華匯業銀行経理、上海塩業銀行経理、上海市商会執行委員、上海市銀行同業会執行委員などを務めた。1935年(民国24年)12月、国民政府により外交部常務次長兼総務司司長に起用されて政界復帰を果たす。1938年(民国27年)6月、駐ドイツ特命全権大使に任命された。1943年7月、駐ブラジル大使に任ぜられ、翌年7月にはメキシコ大使に転じている。1945年8月、駐アルゼンチン大使となった。1951年8月15日、ブエノスアイレスにて病没。享年67。
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