ギリシア都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 17:34 UTC 版)
紀元前5世紀、ネアンドレイアはデロス同盟に加盟し、紀元前454/3年や紀元前410/9年にヘレスポントス地方の一部として2000ドラクマをアテナイに納めている記録がある。後者の年の後間もなく、おそらくアテナイが紀元前404年にペロポネソス戦争で敗北したのを受けて、ネアンドレイアはダルダノス(英語版)の僭主ゼニスの影響下に入った。ゼニスはアケメネス朝ペルシアのサトラップであるファルナバゾスの代理としてトローアスを支配した。ゼニスやその妻で後継者のマニア(英語版)の時代、ネアンドレイアにはギリシア人の部隊が駐屯した。紀元前399年、スパルタの将軍デルキュリダスがこの守備隊を駆逐し、ネアンドレイアをペルシアの支配から解放した。考古学調査から、紀元前5世紀後半か紀元前4世紀前半に新たな市壁が建てられていたことが分かっている。花崗岩の切り石積みで、長さ3.2キロメートル、厚さ2.9メートル、囲まれる範囲は40ヘクタールに及んでいた。この城壁がゼニスやマニアにより建てられたのか、デルキュリダスによる解放後のものなのかは不明である。紀元前4世紀後半、チュール・ダーの遺跡ではさらなる拡張が起きた。都市の西側には矩形格子状の住宅街が広がり、一連の排水設備が整備され、おそらく劇場もあった。発掘者たちは、この時代のネアンドレイアには230戸の家があり、約2,500人の住民が暮らしていたと推定している。
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