プラエトル
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古代ローマ |
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プラエトル(ラテン語: praetor)は、古代ローマの政務官職の一つ。日本語では法務官と訳される。共和政ローマではコンスルに次ぐ公職で、インペリウム(命令権)を保有し、主に司法を担当した。
概要
その成立については諸説あるが、ローマ社会を統率する者が「コンスル」と呼ばれる以前の呼称として「プラエトル」が使われていたといわれる[1]。ティトゥス・リウィウスは、プラエトルが最初から裁判を担当するために作られたとしている。学者の間で共和政初期には軍を指揮する最高政務官は3人のプラエトルで、2人がコンスルとなり、1人がプラエトルとして残ったという説があり、もしそうであれば元々軍事的意味合いが強かったことになる[2]。
紀元前367年、プレプス(平民)もコンスルに就任出来るようにする代わりに、パトリキ(伝統的貴族)の就任する政務官として、ローマ市で裁判を担当するプラエトル・ウルバヌス(首都法務官)が作られた。更に第一次ポエニ戦争の末期、プラエトル・ペレグリヌス(外国人係法務官)が増やされた。これは古代の史料では外国人による訴訟に対応するためとされるが、通説ではインペリウムを保有できる政務官を増やすためと理解されており、実際に外国人の訴訟を裁いたのは紀元前2世紀以降とされる[3]。
紀元前336年、クィントゥス・プブリリウス・ピロが初めてプレプス出身プラエトルとなっている[4]。
紀元前228年には4名に増員され(シチリア・サルディーニャ担当増員)、紀元前197年には6名[5](遠近ヒスパニア担当増員)と、ローマが属州を獲得するたびに増員され、首都の2名以外はインペリウム保有者として属州総督の任にあたった。
ルキウス・コルネリウス・スッラがローマを掌握して改革を実施した際、プラエトルを8人に増員。全員が首都に置かれて司法を担当した。
出典
参考文献
- 長谷川岳男・樋脇博敏『古代ローマを知る事典』東京堂出版〈東京堂出版〉、2004年10月。ISBN 4-490-10648-3。
- 原田俊彦「ローマ共和政初期における公職の裁判権力について -対物訴訟の場合- (1)」『早稻田法學』第89巻第4号、早稲田大学法学会、2014年、1-65頁。
- Fred K. Drogula (2007). “Imperium, Potestas, and the Pomerium in the Roman Republic”. Historia: Zeitschrift für Alte Geschichte (Franz Steiner Verlag) 56 (4): 419-452. JSTOR 25598407.
- T. R. S. Broughton (1951). The Magistrates of the Roman Republic Vol.1. American Philological Association
プラエトル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 05:40 UTC 版)
「ルキウス・アウレリウス・コッタ (紀元前65年の執政官)」の記事における「プラエトル」の解説
コッタの経歴に関して、資料で正確に確認できるのは、紀元前70年にプラエトル(法務官)を務めたときのものである。この年の執政官ポンペイウスとクラッススは、スッラが終身ディクタトル(独裁官)時代に制定したコルネリウス法によって大幅に削減されていた護民官の権限を回復させるなど、法改定に着手し、コッタもその一員として法律改定を行った(lex Aurelia iudiciaria)。彼は権力乱用裁判の改革のための法律を制定した(その前に、別の、より急進的な改革プロジェクトが検討されていた可能性がある)。 これにより、スッラが定めていた元老院議員が判事を独占することはなくなったが、グラックス兄弟時代のエクィテス(騎士階級)のみに戻されることもなかった。判事の構成は3分の1は元老院議員、3分の1は騎士階級であり、残り3分の1は正規の騎士階級ではない有力市民(tribuni aerarii)とされた。この決定は門閥派とポプラレス(民衆派)の妥協、あるいは民衆派の譲歩とされる。何れにせよ、この改革は社会の不和の主な原因の一つを排除することに成功した。
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