共和派の勝利
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 06:35 UTC 版)
オハラを捕虜にすると、デュゴミエ、ラポワプとナポレオン(大佐となっていた)は、12月16日の夜のうちに一斉攻撃を敢行した。攻撃は真夜中ごろ、小ジブラルタルに対して開始され、一晩中続いた。ナポレオンは、イギリス軍の軍曹の銃剣で腿に負傷した。しかし朝には拠点を奪取し、ナポレオンの副官オーギュスト・マルモンはレギエット要塞とバラギエ要塞に向けて大砲を据えた。イギリス軍はその日のうちに、それ以上戦うことなく避難した。この間に、ラポワプもファロンとマルブスケの砦を奪取していた。連合軍は海からの脱出を決定した。殿軍を務めたイギリスのシドニー・スミス代将は焼討船隊を港に突入させ、施設や船を焼き払った。
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