ルクレティアの陵辱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 01:04 UTC 版)
「セクストゥス・タルクィニウス」の記事における「ルクレティアの陵辱」の解説
タルクィニウスは、ルトゥリ人の都市アルデアを包囲していた。 都市はなかなか陥落せず、ローマ軍は城壁の側に野営していた。 王の息子と、甥でエゲリウスの息子タルクィニウス・コッラティヌスは共に宴を開き、その最中に自身の妻の貞淑さについて話り合い、戦況が落ち着いていたので、いきなり家に帰って驚かせてみる事にした。 まず彼らはローマへ帰り、そこで開かれていた盛大な宴会場で王女たちを驚かせた。 次に彼らはコッラティアへと急ぐと、もう夜も遅かったが、コッラティヌスの妻ルクレティアが侍女たちと糸を紡いでいるところだった。 ルクレティアの美しさと貞淑さにセクストゥスは邪心を募らせた。彼は数日後コッラティアへと引き返し、そこで夫の親戚としてルクレティアの心のこもった歓待を受けた。夜中になると彼は剣を片手に彼女の部屋へと忍び込み、こう言って彼女に迫った。「お前と奴隷の一人を殺して死体を並べ、お前の姦通を知った私が夫の名誉を守ったという事にしてもいいのだぞ。」 その後、ルクレティアは夫と父スプリウス・ルクレティウス・トリキピティヌスへ使いを送り、すべてを語った後自害した。反乱は彼女の夫の友人でありいとこのルキウス・ユニウス・ブルトゥスに率いられ、傲慢王を追放し、共和政ローマが設立された。ブルトゥスはコッラティヌスと共に最初の執政官となり、セクストゥスはガビイへと逃れ、王へと返り咲くべく策動したが、過去のいざこざの復讐を受け殺された。
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