ルクレツィア・トルナブオーニ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/27 22:39 UTC 版)
ルクレツィア・トルナブオーニ Lucrezia Tornabuoni |
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ルクレツィア・トルナブオーニ像、ドメニコ・ギルランダイオ画
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出生 | 1427年6月22日 |
死去 | 1482年3月28日 |
配偶者 | ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチ |
子女 | ビアンカ ナンニーナ ロレンツォ ジュリアーノ |
家名 | トルナブオーニ家 |
父親 | フランチェスコ・トルナブオーニ |
母親 | ナンナ・グイチャルディーニ |
ルクレツィア・トルナブオーニ (Lucrezia Tornabuoni、1427年6月22日 - 1482年3月28日)は、中世イタリアの詩人。メディチ家当主ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチの妻[1]。メディチ家の重要人物として影響力を持った[1]。自作の詠唱を集めた『讃歌』(Le laudi)を出版した[1]。
子女
1444年に結婚したピエロとの間に6子をもうけ、4人が成人した[2]。
- ビアンカ(1445年 - 1505年)- グリエルモ・デ・パッツィの妻
- ナンニーナ(1448年 - 1493年) - ベルナルド・ルチェライの妻
- ロレンツォ(1449年 - 1492年) - イル・マニフィコと呼ばれたメディチ家当主
- ジュリアーノ(1453年 - 1478年) - パッツィ家の陰謀により殺害
- メアリー (1455年 - 1479年) - レオネット・デ・ロッシの妻
- 出産直後に死亡した男児双子2人
脚注
- ^ a b c ヌルミネン 2016, p. 441.
- ^ 亀長洋子『イタリアの中世都市』山川出版社、2011年、70頁。ISBN 978-4-634-34944-5。
参考文献
- マルヨ・T・ヌルミネン 著、日暮雅通 訳『才女の歴史 古代から啓蒙時代までの諸学のミューズたち』東洋書林、2016年。 ISBN 9784887218239。
ルクレツィア・トルナブオーニ
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「アリアドネの冠」の記事における「ルクレツィア・トルナブオーニ」の解説
ロレンツォの母。病弱な現当主である夫に代わり家政を担う。実年齢に比べ若々しい風貌をしている。
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