古代ギリシア時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 23:42 UTC 版)
紀元前9世紀、ドーリア人(ドリス人)によって建設され、商業都市として繁栄した。アプロディーテーを守護神としその祭祀で知られる。 「コリントス」は非ギリシア語源の語とみられ、おそらくドーリア人以前の先住民族の語である。ミケーネ文明の頃にはすでに繁栄していたと推測される。神話ではコリントスの創設者はシーシュポスであり、コリントスの王はその子孫であるとされる。神話ではまたイアーソーンがメーデイアを離婚した土地ともいわれる。 ペロポネソス半島とギリシア本土をつなぐイストモス地峡に位置するコリントスは、交通と交易の要衝として繁栄し、古典期にはアイギナと並ぶギリシャ世界の経済の中心となった。アテナイやテバイの台頭後も、財力でこれらに並んだ。コリントスのアクロポリスには、街の主神であるアプロディーテーの大神殿が築かれた。複数の文献が、この神殿に雇われていた千人の聖娼(遊女)について伝えている。コリントスはまた四大ギリシア競技会のひとつ、イストミア大祭を開催した。 バッキアダイによる寡頭政を経て、紀元前7世紀には僭主キュプセロス、ペリアンドロス父子により統治され、ふたたび寡頭政に移行した。また、シュラクサイ(現在のシラクサ)を初めとする複数の植民地を建設した。コリントスはペルシャ戦争でのギリシア方の主要ポリスのひとつであったが、後にはこのとき同盟したアテナイと敵対し、スパルタとペロポネソス同盟を結んだ。ペロポネソス戦争の要因のひとつは、コリントスの植民市コルキュラ(現在のケルキラ)をめぐるアテナイとコリントスの争いであった。軍事力に優れつつも経済的には脆弱だったスパルタの戦争継続能力維持を助けたのがコリントスの経済力であったと言われている。 紀元前146年、かねてより対立していた共和政ローマから派遣された執政官ルキウス・ムンミウス率いるローマ軍がコリントスを包囲陥落させ、コリントスは完全に破壊された(コリントスの戦い)。その後も少数の住民がかつてコリントスがあった場所に住み着いていたことが考古学的証拠から明らかになっている。
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