古代ギリシア哲学におけるダイモーン
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「ダイモーン」の記事における「古代ギリシア哲学におけるダイモーン」の解説
ホメロスの著作では θεοί(テオイ=神々)と δαίμονες(ダイモネス=神的なるものたち)とは実質的に同義語であったが、後のプラトンらはこの2つを区別して扱うようになった。プラトンの『クラテュロス』(398 b) では、δαίμονες (ダイモネス) の語源を δαήμονες(ダエーモネス、「物識り」または「賢い」)としているが、実際にはこの言葉の語根は δαίω(ダイオー=配分する)である可能性が高い。ダイモーンは個人の運命を握っているとされ、いわば運命の配分者であった。 プラトンの『饗宴』では、巫女のディオティーマがソクラテスに対して、愛(エロース)は神ではなくむしろ「偉大なダイモーン」であると説く (202d)。彼女はさらに「全てのダイモニオン(ダイモーン的なもの)は神と死すべき人間の中間にあるのです」(202d-e) と語り、ダイモーンは「人間に属する事柄を神々に、神々に属する事柄を人間に、解釈し伝達するのです。たとえば、人間から神へは嘆願と生贄を、神から人間へは法令と報酬を、ということです」(202e) と説明する。プラトンの『ソクラテスの弁明』の中でソクラテスは、自分には「ダイモニオン」(字義的には「神的な何か」)というものがあり、間違いを犯さないように「声」の形でしばしばソクラテスに警告したが、何をすべきかを教えてくれることはなかったと主張した。ただし、プラトンの描くソクラテスはダイモニオンがダイモーンだとは全く述べていない。それは常に非人格的な「何か」であり「しるし」であった。 ヘレニズム期のギリシア人はダイモーンを良いものと悪いものとに分類し、それぞれエウダイモーン(またはカロダイモーン)、カコダイモーンと呼んだ。エウダイモーンは、ユダヤ・キリスト教的概念である守護天使や心理学でいう上位自我に似ている。それは死すべき人間を見守り、かれらが災難に遭わぬようにしている。このため、幸運はダイモーンのはたらきの賜物であるという考えから、字義的にはエウダイモーンを有している状を意味するエウダイモニアという言葉は、「幸福」を意味するようになった。これに類比しうるローマ人のゲニウスは、個人につきまとう守護神であったり、場所に取り憑いてそこを守るもの(ゲニウス・ロキ=土地の守護神)であった。 危険で、多くの場合、邪悪ですらある低級の精霊というダイモーンの観念は、プラトンとその弟子クセノクラテスがその起源である。そのため後世の人間がホメロスの著作を解釈すると、意味の歪曲が起きた。「プラトンの話法から解き放たれることは生易しいことではない」とヴァルター・ブルケルトは述べている。ダイモーンはギリシア神話やギリシア美術にはほとんど登場しない。ケールと同様、感じられるが見えないものとされていたためである。唯一の例外として良いダイモーンのアガトダイモーンがある。特にディオニューソスの聖域で儀式としてワインを飲む際にアガトダイモーンに献酒する習慣があり、その神秘的存在は図像学的には地中の蛇で象徴的に表された。 プラトンの時代以降、アレクサンドロス3世が自ら始めた君主崇拝の中で、君主自身ではなく君主の守護神であるダイモーンをあがめるようになり、ヘレニズム期にはダイモーンは守護している人物の外にあり、本人に霊感を吹き込み、導くものとされていた。同様に、1世紀ごろのローマではアウグストゥスのゲニウスがあがめられるようになったが、その区別は徐々にぼやけていった。
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