古代における水理学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 04:21 UTC 版)
古代の四大文明はそれぞれ黄河、インダス川、チグリス川・ユーフラテス川、ナイル川という大きな河川の周囲で発達した。これにより、人間の生活と水の流れが結びついたが、この時代の水理学は科学的な理解はほとんどなく、経験的な技術によって支えられていた。 その後、古代ギリシア時代において、水理学が誕生し、アレクサンドリア学派によって、いくつかの発明がなされた。例えば、クテシビオスは、紀元前2世紀ごろに消火ポンプを発明し、さらにhydraulic(水理学的)という形容詞を初めて使った。また、アルキメデスは、揚水ポンプとしてアルキメディアン・スクリュー(アルキメデスのねじ)を発明し、さらに浮力の解析を行ってアルキメデスの原理を確立した。 古代ローマになると、コロッセオのような巨大な建造物の建設があり「巨大土木時代」といわれているが、ギリシア時代に理解された科学的な概念が使われることはなく、学問的には後退したと評価される。しかし、ローマ水道のような水道の設計法などの発達があった。ウィトルウィウスは『建築書』を皇帝アウグストゥスに献上し、また、セクストゥス・ユリウス・フロンティヌスは「泉から水を導水し貯水池に貯め、公衆浴場等に給水する」といった基礎的な形式を作り上げた。しかしながら、これら壮大な建造物の設計は経験的な知識に頼っており、「開水路」としての抵抗則などは全く理解されたものではなかった。
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