古代における家格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 00:21 UTC 版)
「魏志倭人伝」の中に描かれた倭人の習俗として、下戸と大人の身分格差があったことが知られる。 古代氏姓制の元ではそれぞれの氏が持つカバネをもって宮廷内の上下関係や職掌を定めていたが、天武天皇の元で八色の姓を定めてカバネをもって氏の尊卑の基準とした。だが、本来は第2位である朝臣の官人によって朝廷が運営されるようになり最上位の真人も含めて他のカバネはほとんど用いられなくなった。 平安時代になると、貴族社会に家格の原形が生み出され、摂関家をはじめ出自によって、昇進の上限の目安が決定付けられるようになり、官職を実質上世襲する官司請負制も成立するようになった。武士社会でも同様で、天皇家の血を引く軍事貴族である伊勢平氏・河内源氏が貴種として尊ばれ、その中から武家の棟梁が選ばれるようになった。 だが、南北朝・戦国の2つの大きな動乱の時代は旧来の家格秩序が破壊され、少数の例外を除いて家格の再編成が行われることとなる。
※この「古代における家格」の解説は、「家格」の解説の一部です。
「古代における家格」を含む「家格」の記事については、「家格」の概要を参照ください。
- 古代における家格のページへのリンク