古代における朝鮮の場所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 14:43 UTC 版)
かつての朝鮮は半島全体を示す地域名称ではなかったが、その地域は史書によって相違点もある。 『漢書』巻28下には、「箕子が朝鮮に赴いて民を教化した」という記述がある。箕子はいわゆる王朝としての箕子朝鮮の祖である。前漢代に設置された楽浪郡の都は朝鮮県と呼ばれており、かなり狭い範囲のものであった。現在では発掘調査の結果、「朝鮮県」は現在の平壌付近を指すことが定説となっている。『三国志』が引く『魏略』には、箕子が統治した「朝鮮」は、燕の東、遼東、遼西を含めた地域であると説明されている。『魏書』には、北魏の支配する平州には楽浪郡があり、その下に朝鮮県があったと記述されている。『遼史』では東京遼陽府、現在の遼寧省遼陽市がかつて朝鮮と呼ばれていたという記述があるが、同時にかつて「平壌城」と呼ばれていたという記述もある。
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