古代には海に面して港があった
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 19:25 UTC 版)
「蓮池町」の記事における「古代には海に面して港があった」の解説
筑後川の河口に近い佐賀平野一帯は溝渠(クリーク)が縦横に走り、クリーク地形と呼ばれている。現代では河道改修と築堤によって流路が整備されているが、かつてこのあたりは蛇行する筑後川とその支流が有明海と連なって汽水域を形成していた。現在の蓮池地区の東方には「中津江」或いは「境江湖(さかいえご)」と呼ばれる水域もあった。 史料によれば、この一帯で最も早くから形成されていた集落の一つが「蒲田郷」である。蒲田郷は、奈良時代に成立した『肥前国風土記』や平安時代の『和名類聚抄』に名が見え、「蒲田」「蒲田郷」と記されている。奈良時代には、現在の佐賀江の川筋にあたる位置が海岸線だったと考えられており、そこに「蒲田津」と呼ばれる船着場があった。蒲田津は平忠盛(平清盛の父)による日宋貿易で利用されていた。現在の蒲田津地区は蓮池町東部(蓮池町小松)の佐賀江と城原川の合流点西岸付近に位置している。
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