古代のからくり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 05:37 UTC 版)
日本のからくりについての記録は、『日本書紀』の斉明天皇4年(658年)に見られる指南車が最古のもので、この指南車についてはこれより古く『三国志』にも記述がある。これは台車の上に立つ人形が車輪の差動を利用し、車がどの方向に進んでも常に南の方向を指し示すというものである。平安末期の『今昔物語集』巻第二十四には、桓武天皇の皇子高陽親王(賀陽親王)がからくり人形を作ったという説話が記載されている。また巻二十四第五には「飛騨工」(ひだのたくみ)が絵師百済河成を驚かせるため、四方に扉がある堂を作り、いずれの扉の前に立っても目の前の扉は閉じ違う場所の扉が開く仕掛けを作った説話も記載されている。
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